さきっちょやはあちゅうの人や、実録鬼嫁日記の人、あるいはガ島通信の人が「ブログが無ければ今の人生は無かった」と言うとそれは一定の華やかしさというものが感じられるファンタジックな言葉として聞けるのだけれど、同じ台詞を僕が言うとただ痛々しいだけである。
ブログブームも一巡し、ブログというものが色々な形で様々な方向へと滲透し行く中で、日本でもブログで食べて行ける時代が来た、などという声をちらほらと聞くようになった。けれども、食べて行けるという事がそんなにも大それたものなのかと疑問に思わずにはいられない。
現代の日本において食べていくという事はもはや当たり前の事となってしまっており、ブログで食べていける奴は別に他の事でも間違いなく食べていけるだろう。我が国において餓死者などというものはもはや存在しない。即ち、命としての食は息絶えたのだ。
つまり、ブログという道具がもし仮に素晴らしさというものを有しているとすれば、それは食べていけるという事ではなく、生きていけるというそのものの部分であると僕は考えている。
おそらくこの国のインターネットにはもう随分と前からブログというものだけを人生の拠り所にして生きている人がたくさん存在していて、それは食べていけている人なんかとは比べものにならないくらい大勢いるだろうし、それは「食べていける」なんてのよりもずっと大切な事なんじゃないか、と思ったりもするのである。
僕はブログで生きてゆく。
他の何をも縋らずに。