2005年12月4日日曜日

ブログであるという普通、ブログでないという異常。



メリッサが猛威を振るったのはメリッサが優れていたからではない。
無論のこと、Outlookが優れていたからでもない。

ただOutlookが世界標準であった、というだけの話である。








「あのブログはコメント欄を閉じている」
「あのブログはトラックバックを受け付けていない」
そんな声をよく目にする。
人々は、それがまるで異常なことであるかのように思っている。

「コメントを書いたら削除された」
「トラックバックをしたのに拒否された」
至極当たり前普通の事である「コメント書き込み」や「トラックバック」に対して「削除」「拒否」といった特異な対応を行う人間は、頭がおかしい奴なのだと人々は考える。

本当にそう、なんだろうか。









「ブログとは何か?」なんて問いは今では意味を成さない。何故ならばブログとは何かを知っている人達は、ブログとは何であるかを知っているからだ。

1つ、コメント欄があって。
2つ、トラックバックがある。
1つ、RSSを垂れ流していて。
2つ、パーマリンクURLがある。

事実今では、ブログとはそれを指すのである。
それが標準当たり前の事なのだカー。




なぜそのようなものが普及するに至ったのかは知らない。
確かな事は、そのブログというツールは人々に一定の歓喜を持って迎えられたという事だ。

投稿したエントリ-の全てに個別のコメント欄が備わっているというのは多くの人達にとって福音であったのだろうと思うし、トラックバックという接点の可視化、相互リンク依頼のローハードル化も同じように多くの人達に歓迎されたのだと思う。

だからこそ、こうしてブログは広まったのだろう。




それは標準になった。
即ち、デフォルトである。

そして、そうではない事をしている人達は奇異の目で見られる。
「あいつはおかしい」「あいつは変な事をやっている」、「普通じゃないよ」と。




けれども、それらは本当にそんなにおかしな事なのだろうか?

コメント欄を閉じる。
トラックバックを削除する。
コメント及びトラックバックを許可制にする。
どうしてその位の事で嘲笑われなければならないのだろう。




それらを笑う人達は、その行為自体を問題としているのではなくて「普通ではない」という事を指差し囃し立てているにすぎない。「世間を見てみろ、みんなコメント欄は解放しているし、トラックバックは受け付けているじゃないか。」例外的な行動を取るお前は異常だ、と。

まったく、おかしな事だと思う。




正しい物が標準になるとは限らないし、標準となったものが万人にとって適切であるとは限らない。だから世の中にはIEを使わず異常なブラウザを使い続ける人がいるし、Windowsを使わずに異常なOSを使う人間がいる。ヒュンダイを知らない人もいるし、神を信じない人もいる。セガなんてだっせえよな。

同じようにコメント欄を閉じる人もいれば、トラックバックを受け付けない人もいる。




当たり前ではないからといって、非難される道理は無いはずだ。
いつ、何とき、どのような選択をしたっていいはずだ。

世の中にはコメント欄やトラックバック欄を必要としない人は一定の割合で存在する。けれどもブログというものがこれ程までに普及してしまうに従い、そういう人達もそれに気がつかないままでブログサービスをレンタルし、デフォルトの設定に従ってコメント欄やトラックバックを解放したブログを始める。そしてそのデフォルトの設定を弄っただけで性根が腐っていると100万のブロガーという巨大な総体から蔑まれる。

100万のブログがあって、100万人のブロガーがいて、それは巨大は圧力で、今ではその標準から外れたウェブサイトだってだけで後ろゆび指される時代。

RSSがなんだってんだ。
コメントがなんだってんだ。
トラックバックがなんだってんだ。
そんなもの、やりたい人だけやればいい。

それらがデフォルトだからといって、それに囚われる必要はない。多くのブログにコメント欄があるのはコメント欄が優れているからではなくて、ただそれが標準であると言うだけの話だし、多くのブログがトラックバックというものを受け付けているのは、ただそれが標準であるというだけの話である。そうでなくても構わないはずだ

少なくとも非難される道理は無い。
インターネットには自由という命題があり、それは個人を幸福にするという目的の為に存在している、って事になっているはずなんだから、建前上は。