2013年3月20日水曜日

GTDを始めようと思って10年が経過した

自分の人生に嫌気が差して、ちょうどその頃話題になっていた、GTD(Getting Things Done)を2003年の今日始めようと思った。なので、今日でちょうど、10年になった。それから僕は、ただの一日も欠かすことなく、GTDを始めよう、始めようと、思い続けている。あの日を境にして、僕の生活は、僕の日常は、僕の人生は、全てがGTDを中心に回るようになった。

GTDを始めようと思ったからには、もちろん、聖典(はじめてのGTDストレスフリーの整理術)も買った。ネット上には「あれは読みづらい」だとか、「翻訳してる奴の英語力どころか日本語力にも疑問符が付く」、あるいは「とてもではないが値段に見合った内容ではない」といったふうに、ネガティブな評価が溢れている。けれども、それら聖典に対するネット上の評判は全て間違いだ。完全な間違いだ。インターネットというのは、馬鹿と暇人で溢れている。お天道様の光の下を堂々と胸をはって朗らかに歩けるような真っ当な人間は、インターネット上でにっきを書こうなどとは決して考えない。インターネット上でにっきを書く人間というものは、愛する人もなく、愛された経験もなく、家族もなく、友もなく、また、生き甲斐というものを持たず、人生に楽しみを見いだせず、将来の展望も描けず、人から頼りにされるような能力もなく、生まれてこの方一度として真の自発的努力というものを行った事がなく、常に悲嘆にくれては、不平不満を口にし続ける、現代社会から落ちこぼれた、敗北者である。そういった類の人間のみが、インターネット上にくだらない文章を書き残す。

よって、インターネット上の文章とは、賢明なる人物によって書き上げられたものではない。インターネット上の文章とは、その全てが、1つの例外もなく、馬鹿と、暇人の手によって書き残されたものである。読むに値しない文章である。即ち、聖典に対するネット上での評判もそれである。僕が尊敬してやまない百式管理人の田口さんが翻訳したGTDの聖典は、馬鹿には読めない。馬鹿には理解出来ない。豚に木、犬に棒、馬の耳に北風である。馬鹿にはその価値が伝わらない。馬鹿がピーピー喚いているだけだ。銀珠のように有効なノウハウがぎっしりと詰まった実りある素晴しいテキストであっても、それを読み解き、理解し、受け入れるには、高い高い志が必要である。

自分を成長させたい。もっと人生を良くしたい。自分だけではなく、周囲の人も巻き込んで、幸せな、実りある、豊かな生活を送りたい。毎日笑顔で朗らかに、光の中を歩いて行きたい。そう心から願う人達にだけ伝わる文章。それがはじめてのGTDストレスフリーの整理術なのである。残念だけれど、そんな人は、多くは居ない。ネット上に文章を書き残すような暇人の中から探すとなると、それはもう、絶対に不可能である。ネット上に書き残された文章は、その全てが暇人の手によるものである。

暇人が何故暇人であるかというと、それは彼等が「自ら」というものを持たないからだ。自らというものを持たない彼等は、時間を持て余す。時間の使い方を知らない。時間がいかに大切なものなのかを理解しない。理解しようともしない。だから彼等は毎日を無駄に過ごす。時間を浪費し続ける。毎秒毎秒をドブにする。GTDというインテリジェントなタクティクスは、そういった人達とは対極に位置する存在だ。時間を大切にしたい。時間を有効に使いたい。自らが求めるもの、自らが成し遂げること、自らが望む幸せ、自らが愛する人、そういった様々な事象の為に、適切に時間を割り振り、掛け替えのない人生の、限りある有限の無限の時間を、ただの1秒も無駄にすることなく、大切に生きて行きたい。そう願う人の為のテクニックであり、それを可能にする為のノウハウなのだ。

暇人というものは、時間の大切さどころか、お金の大切さも理解していない。彼等が何故暇であるかというと、時間の使い方を知らないだけではなく、お金の使い方までも知らないからだ。彼等はお金を手にしても、それをどのように使うのが自らにとって幸いであるかを理解していない。知ろうともしないし、知る努力もしない。よりよいお金の使い方を考えようともしない。そういう人達が、インターネットでGTDという文字を目にし、なんの思慮もなく反射的に、ただお金があるというだけの理由で、amazonで聖典を買っては、やれ「読みづらい」だとか、やれ「値段に見合ってない」とか、やれ「この人は英語を読めていないない」などと、不平不満を口にする。彼等がお金を使うのは、素敵な体験をしたいとか、心をときめかせたいとか、笑顔になりたいとか、些細な幸せを手にしたいとか、あるいは誰かを喜ばせたい、といったような目的の為ではない。彼等は何かを憎み、何かを呪い、何かに罵詈雑言を浴びせかけたいという欲望のみで金を使う。もちろん、その目的はおおやけには、明かされない。「私は楽しみたくて買った」「私は喜びたくて買った」といった体裁を装う。けれども、彼等の真の目的は憎しみであり、罵倒であり、侮蔑である。彼等は不平不満を口にする為だけに金を支払っているのだ。

趣味もなく、娯楽もなく、知的探求心というものもなく、夕食を共にする相手も居ない、現実世界で孤立した、自らを成長させたいという希望も持たない、ただ時間だけを持て余す、知性も理性も持たない愚の極点の者共が、何かを悪く思いたいが為だけに金を支払い、何かを悪く言いたいが為だけにインターネットに文章を書く。故にネット上での評判などというものは、まったく当てにならない。

そして、この場を借りて、僕はあなた方に、1つの物事を教えてあげたい。この世界に存在する投資の中で、一番リターンが大きく、一番リスクが少ない投資は、自らへの投資である。それを、教育という。自分自身への教育に、お金を惜しまずに投資すること。それが、優れた未来を手に入れる為の最短の近道であり、豊かな生活を手に入れる為の最良の手段なのだ。いや、最短でも最良でもなく、自らへの投資こそが、唯一の真の投資なのである。

故に、自らへの投資を惜しんではいけない。まるでなんでも手に入る、インターネットを手にした貴方は、「ネットで読むだけで十分」とか、「ググればノウハウは手に入る」なんて風に考えるかもしれない。けれども、それは、間違いだ。アインシュタインも、ベートーヴェンも、エジソンも、自らへの投資を、決して惜しまなかった。自らへの投資を欠かさず、そして決して惜しまなかったからこそ、人類史に偉大な足跡を残せたのである。もしも、仮に、まったく同じ文章がインターネット上で公開されていたとしても、お金を払う事を惜しんではならない。自分でお金を出して購入したものは、その金額分だけの重みを持ってあなた自身に迫ってくる。その金額分の肉となり、その金額分の血となり、あなた自身を大きく大きく成長させ、希望に溢れた日々を、充実した毎日を、輝かしい未来をあなたに授ける。0円の投資は、0円のリターンにしかならない。ただより高いものはない。インターネットの文章などというものは、インターネットの文章にしかならない。そんなゴミみたいな人生を、あなた方には、おくって欲しくはない。

自分への投資を惜しむような人は、素晴しい人間になることも、人から愛されることも、充実した生活を過ごすことも、出来ない。けっして、出来ない。たかだか2000円ぽっちの出費を惜しみ、ネット上で断片的なハウツーを拾い読みしただけでGTDを続けられると考えるような人は、一生貧困から抜け出せない。これは何度でも繰り返して言うけれど、この世界に存在する投資の中で、もっともリターンが大きく、もっとリスクが少ない投資は、自らへの投資なのである。あなた自身の手による、あなた自身への投資なのである。僅かな出費を惜しんで、インターネットのグーグルで見つけた文章で、何かを済ませようとするような人は、一生ワープア確定であるし、たかだか数千円の出費をケチるような人間は、決して大成しない。大成しないどころか、たとえばGTDを初めたとしても、決して続かない。進退を賭けて断言するが、1年はおろか、ただの一ヶ月も続くまい。

だから、僕は、もちろん買ったさ。GTDをはじめようと思ったその日に買ったよ。即座にamazonでポチったさ。それから何日かして、真夜中に自室を抜け出して、明かりもない夜道をとぼとぼ歩いて、コンビニでそれを受け取ってからというもの、ただの1日も欠かすことなく、「はじめてのGTDストレスフリーの整理術」を読もう、読もう、と思い続けている。10年も続いたのは、我ながら偉いと思う。その継続を実現させたのは、何と言っても向上心の力である。人間は、夢をなくした瞬間から老い始める。希望を無くした瞬間から死に始める。そして向上心を無くした瞬間から、衰え始める。僕は、決して老いない。老いないし、死なない。死なないし、衰えない。何故かというと、僕は夢の塊であり、僕は希望の塊であり、僕は向上心の塊だからだ。これだけは、絶対に忘れないでほしい。成長したいと願う心を無くしたが最後、あなたの未来から可能性という文字が消失する。向上心を無くした人間は、太鼓を叩き続けるゼンマイ仕掛けのブリキ人形みたいなものだ。それはもう、人とは呼べない。

GTDを始めようと思ったあの日から、いや、それよりも、ずーっと、ずーっと以前から、僕は自らの人生を、一瞬たりとも諦めては居ない。一時たりとも、成長への欲望を失ったことはない。常に自分の人生をよくする為に何が出来るか。そしてこの私達が住んでいるプラネット・ジ・アースに対して、どのような貢献が出来るか。僕1人だけではなく、世界中の人々が、素晴しい未来を手にする為に、最良の選択は何かを考え続け、そして実行しよう、しよう、と思い続けている。常によくする為に何が出来るか、成長する為に何が出来るか、どのような一日を過ごす事が、自らにとって最善の選択であるかを、求め、考え、探し続けている。だから僕はあの日から、一日も書かすことなく、GTDをはじめよう、はじめようと、思い続けている。僕は向上心の塊である。もしもあなた方が僕の事を、向上心の権化であると呼びたいならば、どうぞ呼んでくださって構わない。なぜならば、それは、事実だからだ。向上心の無い奴は、馬鹿だ。






Nerubian Assasin(79)
Nerubian Weaver(73)
Spectre(69)
Bounty Hunter(63)

現在のところ、使用回数上位キャラは以上のとおり(←突然何言ってんだ)






10年も続いたのは、何と言ってもRimember The Milk(Remember The Milk)の力によるところが大きい。最初にツールとしてRTMを選んだ自分の酔眼っぷりにほれぼれする。僕は、将来、きっと大物になり、かわいいお嫁さんをもらい、2人で毎日、幸せに、にこにこ笑って、笑顔で暮らしていくんだ。その為に、僕は毎日、いや、その為なんかじゃない。その為なんかじゃなく、純粋に、僕は希望に満ち溢れ、毎日毎日自分の人生に対して真摯に向き合い、今日一日で何が出来るか、どれだけ成長出来るかを、呼吸するがごとく考え続けている。

もちろん、RTMだけではなく、howmを使ったり、ever noteを使ったり、GTDを取り巻く環境自体も進歩させ続けている。それだけに限らず、checkpad、google docs、ohLife、Nozbe、toodledoなど、ありとあらゆるツールを手当たり次第に使おう、使おう、と思い続け、毎月のようにインストールし続けている。同じツールをずっと使い続けるような人間は、向上心を無くした奴だ。そういうインテリジェンスなツールの力を借りて、僕の人生は常に改善され続けている。どんどん、どんどん、成長し続けている。素晴しい人生を手に入れ、さらにその先へと少しの油断も休息もなく、進み続けている。僕の毎日は希望に溢れ、キラキラと、光り輝いている。

あと、ここ1、2年はアイフォンの力添えも外せない。もしもアイフォンを持っていない人が居るならば、今すぐにアイフォンを買うべきである。アイフォンは、人生を良くする為の、最高のツールだ。アンドロイドとか、ガラケーだとかいった類の汚らわしい機械を使っている人が居るならば、今すぐ破棄してアイフォンに買いかえるべきだ。明日では遅い。今日するべきだ。二流の道具を使っていては、二流の人間にしかなれない。汚らわしい道具を使っていては、汚らわしい人間にしかなれない。スティーヴジョブスという、コンピューターの歴史の中で最も偉大な、真の天才が、その人生と情熱の全てを注ぎ込んで作り上げた、アイフォンという一流の道具を使ってこそ、一流の人間になれる。一流の小麦粉が一流のうどんを作り、一流の鰹節が一流の出汁を生むように、一流の道具こそが一流の人間を形作るのだ。ガラゲーだの、アンドロイドなどといった汚らわしい機械を使う向上心の無い人間に待ち受けるのは、フィンランド化した未来だけだ。だから僕は、アイフォンを買おう買おうと思い続けている。ただの一日も欠かす事無く、ここ1、2年、思い続けている。

何かを始めるのに、遅すぎるなんてことはない。人生において、遅すぎるなんてことは1つもないんだ。誰にでも「もう駄目なんじゃないか」って思う事が有るだろう。「遅すぎるよ」って考えてしまう事だってあるだろう。でもね、何をするにしても、決して遅すぎるなんて事は無いんだ。伊能忠敬は84歳で旅に出て伊能図を完成させた。あなたにだって、同じ事が出来る。もしもGTDを始めようと思ったらば、GTDを始めようと思えばいい!素晴しい人生を手に入れようと願うなら、素晴しい人生を手に入れようと願えばいい。あなた自身が変わりたいならば、あなた自身が変わりたいと思えばいい。けっして、遅すぎるなんて事はないんだ。今すぐに、今日からでも、けっして遅くはない。始めようと思う事は、始めようと思う事なんだ。

GTDを始めれば理想の生活が手に入る。GTDを始めれば、素晴しい自分になれる。そればかりか、GTDを始めれば誰かを幸せにすることが出来、GTDをはじめれば、誰かの人生を救う事が出来る。GTDは、可能性という将来性という未来性という希望なのだ。GTDを始めれば、苦しみは全て消失し、何もかもが幸福で満ち溢れ、成功というなの栄光の小石で敷き詰められた天の川の岸辺の砂利道をシャリシャリと踏音たてて、歩くようなものなのだ。だから僕は、GTDを始めよう、始めようと、思い続けている。希望を無くした瞬間から、人は老い始める。夢を無くした瞬間から、心は死に始める。けれども、僕は死なない。けれども、僕は老いない。なぜならば、僕はGTDを手に入れたからだ。

僕は誰も救えない。誰も幸せに出来ない。僕は無力だ。そんな事くらいわかっている。そんな事くらい理解している。けれども、僕にはGTDがある。この10年間、一晩たりとも、GTDを手放した事はない。毎日、毎日、GTDを思い続けてきた。GTDをはじめよう、はじめようと企み続けてきた。だから僕は無力じゃない。僕は救える。僕は幸せに出来る。この世界中を、幸福で満たす事が出来る。だから僕はずっと、ずっと、10年もの間もうずっと、1日たりとも欠かすことなく、GTDを始めよう、始めようと、思い続けているのだ。