2006年9月8日金曜日

サイト運営ポリシー



・自らの信仰履歴は隠蔽し、露呈しそうになってもなるべく限りごまかし逃げる。

・アフィアドセンスでがっぽり稼ぐ。




前者は、チンギスハンが自らの信仰する宗教を明らかにしないことで広大な領土運営を円滑に進めたという史実に倣って。僕はやがて世界を統べる王になる男だから。

後者は、織田信長がどでかい経済基盤からがっぽり稼いで天下を統一したという史実に倣って。僕はもうすぐ世界を統べる王に成るべくしてなる男だから。
















・トラックバックは削除しない。

・コメント欄は閉鎖しない。

・エントリーは消さない。

僕はブロガーだから。
そして、僕はブロガーだから。
真性引き篭もりhankakueisuuだから。


40日アクセスしなかったくらいで消えてしまうWEBメールなんていらない。



hotmailのアカウントが消えていた。

ブログのフェアアさを維持するには、検閲の入らないコメント欄、削除されないトラックバック、メールアドレスの3点が最低条件であると考えているので、hotmailのアカウントに最後にアクセスしてから今日まで、その最低条件すら満たせなかった事を強く恥じる。無論の事、上記三点を満たせばフェアアであるか、というとそうではないのだけれど、その点についてはとりあえず無視する。正確に書くとうまくごまかしてばれないように隠蔽する。触らぬ神に祟りなしである。

それにしても、たったの40日アクセスしないくらいで、WEBメールのアドレスが消えてしまうなんてことは想像もしていなかった。気が付いた時には呆然自失である。幸いにして受信メールはxyzzyで読めるように人毎に全て.txtに落とした上でメールボックスから削除していたので、読めると言えば読めるのだけれど、そちらのパソコンは壊れているので今は見れないので、読めないといえば読めない。

それにしても、たったの40日、40日夜から晩までゲームをしていたくらいでメールアドレスが、まさか、まさか本当に消えてしまうとは驚きである。ある意味、マイクロソフトの誠実さのようなものを垣間見た気分である。即ち、メインのパソコンが壊れてから(6~7月頃?)今日までに受信したメールは読めていませんので、その間にメールを送信してくださった方はすみませんでした。


ちょうどよいことにgoogleメールが取得可能になっていたので、そちらの方を取得した。これで大丈夫だろう。googleだから。googleだもん。ちゃんと、hankakueisuuさん誤認問題なんてトラブルに巻き込まれないように、shinseihikikomorihankakueisuuで取ったし。なんかそういうインターネットなトラブルなんてまっぴらごめんである。平穏無事にやっていきたい。平和が一番だ。自衛隊とかいらない。米軍は日本から出てけ。僕のブログにちょっとでもケチをつけた奴は全員刺身包丁で喉付いて死ね。寄生虫に取り付かれて死ね。取り付かれなくても全員死ね。一人残らず死ね。竜騎士07に刃渡り5センチのポケットナイフで喉を突かれて死ね。一族郎党末代まで全部死ね。日本を戦争が出来る国にしてはいけない。9条は死守しよう。がんばろう。がんばろう。




いくらか、逸脱。
本音が、漏れた。

あともう1つ。
世界の最先端を突っ走る、世界のgoogleことブロックブログに、待望のコメントスパムフィルタが実装された。我らがブロックブログ社長曰く、「これでスパムの99%はカットされるだろう。事実上、ブロックブログからコメントスパムは消えたのである。ただ一つ心配なのは、あまりにも強力すぎるスパムフィルタにより、普通のコメントまでカットしてしまう誤爆の可能性である。」と、勝利宣言。













その当日、AND翌日、当ブログにスパムコメントが殺到中。
さすがである。ブロックブログの技術力は宇宙一ッッッ!


2006年9月7日木曜日

日本の何処かに、あなたを待っている人はいますか?



黄色い看板の借金取りが、タダより高いネトゲの群れが、軍艦マーチのパチンコ屋さんが、派遣会社のスタッフが、当たりくじ入りの牛丼やさんが、しゃがんだ海兵隊員が、アフィアドセンスで満たされた、糞ゴミブログのブロガーが、今日もあなたを待ってます。


そのように言うと、彼は言う。
「それは違う。」と、彼は言う。


そのような者供が待っているのは"わたし"ではなく、現金であり、孤独を抱えたインターネット中毒者であり、人生の貴重な時間を浪費するだけの豪快さであり、搾取可能な労働力であり、禁輸解除であり、ザンギエフであり、馴れ合いであると彼は言う。


そのように、彼は言う。
「彼らが待っているのは、決して、わたしではないのだ。だから違う。」と、彼は言う。

けったいな話である、と僕は思う。
まったくもって、理解が出来ない。




確かにそれらは、紛れもなく"あなた"を待っていると書き記して、間違いが無い。
日本の何処か知らない街の、知らない場所の片隅で、彼ら厳密に彼、彼の人は、今日もあなたを必要とし、待ち望み、あなたの登場を渇望し、自ら己の人生と、あなたの人生とが接点を持ち、交わり、交差し、互いに何かを与え合い、それぞれに何らかの利益を手に入れ、時として何れかが不利益を被ったとしても、それでも、なお、あなたの存在を必要とし、であるからこそ、今日も、何処かであなたを待っているのである。


しかし、それら「あなたを待ち望んでいる人々」の存在は「わたしを待っているのではない」という彼の主張の元では、「あなたを待っている」の枠外に位置する、らしい。


曰く、私が、その存在を信じるとともに疑っているのは、そのような者供ではなく、わたしを必要とし、待ち望み、わたしの登場を渇望し、自ら己の人生と、わたしの人生とが接点を持ち、交わり、交差し、互いに何かを与え合い、それぞれに何らかの利益を手に入れ、時として何れかが不利益を被ったとしても、それでも、なお、わたしの存在を必要としてくれるような、そういう人が、本当に、日本の何処かにいるかどうかなのだ。そう彼は言って、深く細く、肩を落とした。




例えば、彼の言う、所謂無条件にあなたを待っている人というものが日本の何処かにいるとするならば、彼も同じように、所謂無条件に、まだ見ぬ何者かを待たねばならぬはずである。そして、無条件にその全てを受け入れられたいと願うのならば、同じく無条件に受け入れねばならぬ。

それが、不可能であるならば、即ち"あなたを待っている事"以外の何らかの付加価値を求めるならば、それに見合うだけの"待っている事"以外の何かを手に入れ、然る後、待つなり行くなりするべきなのだろう。








願わくば、願わくば。
願わくば現金、孤独を抱えたインターネット中毒者、人生の貴重な時間を浪費するだけの豪快さ、搾取可能な労働力、禁輸解除、ザンギエフ、それら以外の、全てのものを。馴れ合い以外の全てのものを。日本の何処かに僕を待っている人なんていなくても、せめてブログを持っている人ならいるのではないかという幻想以外の全てのものを。ブログを、ブログを、全てのものを。
















僕は、僕を、待っている。
ずっと、ずっと、もうずっと。


2006年8月22日火曜日

足りないもの



弱音を吐いたら駄目だ弱音を吐いたら駄目だと頭の中で鳴り響いているが、ならば何なら吐いても良いのだろう。強がっては駄目だ、強がっては駄目だと頭の中が鳴り響くのだけれど、ならばどうあれば良いのだろう。

ありたいようにあるべきであると変な理想像ばかり追いかけて、思考と感情に自らでブレーキをかけつづければ、いつか完全無欠の弧を描きながらまっさかさまに落ちてゆくイアンハートの左足のような自分自身を手に入れられるのだろうか。

僕は僕に捻じ曲げられて、あらぬ方へと飛んでゆく。
一人、盲目、戦いながら、考えることの愚かさを。
無意味さではなく愚かさを。

けれども「もっとよく考えるんだ」と、そればかり僕に指示する。
よく考えろ。お前の人生はここで決まる。
考えて、考えて、熟考の上で決断しろ。
もっとだ、もっとだ、もっと考えろ。

STFU。
安らぎなんて要らない。
幸せなんて要らない。
17インチのカラーテレビも、回って乾く洗濯機も、王冠のマークのついた車も、輝く未来も、親も、子も。DOTA allstarsも何も要らない。

足りないものは、違いなく、もっと、よく、よく、考えること。
なるべく多くの、考えるを。だから、だから少しだけ、考える時間を。




いや、少しじゃ足りない。
10年100年100万光年。
苔の蒸すまで息絶えるまで、太陽が再び、爆発するまで。


2006年8月18日金曜日

僕がブログから学んだ、たった一つのものごと。



玉子の1つで怒る事の出来る人間が世の中には存在するということ。




まったくもって、世界は広い。
僕の心と、同じくらいに。


2006年8月9日水曜日

400のエントリー。



眠たいのに眠れない、という現状は辛い。

その原因を暑さに求めるのは簡単だけど、実際はそんな些細なものではなくて、書きたいのに書けない、という焦燥感と焦燥感の忘失により生み出される焦燥感に24時間27分追い立てられて眠れない。もしも僕が完璧な人間であったならば大げさでも冗談でもなく今日一日で400のエントリーの投稿ボタンを叩いていることだろう。けれども僕は完璧超人なんかじゃない。書きに書き時間に時間を重ねたにも関わらず投稿ボタンにたどりつけていないブログの水子が「どうして私をブログにしてくれないんだ」と耳元で囁き続ける。

夏、眠らず少し、すすり泣く。
謝りながら、詫びながら。


2006年8月7日月曜日

一日一行まず一行。



ワールドカップはつまらなかった。


2006年7月10日月曜日

臆病さ暑さ。



今ここでPCの電源を落としてしまったら、もう二度とPCの電源が入らなくなってしまうのではないかという恐怖から逃れられず、PCの電源を落とすことが出来ない。僕に下さい。少し下さい。勇気を、勇敢さを、雑念の無い煩悩の粗野な欲求を。

インターネットよ、僕を1人にしないでくれ。
インターネットよ、僕を1人にしておくれ。




もしも今年の夏が例年よりも暑くなったならそれは、僕の臆病さが原因だ。


2006年6月17日土曜日

空飛ぶクラゲ、みぃと鳴く。



クラゲである。
空飛ぶクラゲである。
それだけならば有り触れてるが、その飛ぶクラゲはみぃと鳴く。








そこは小さな村で、外れにある神社の脇の大きな浅い池に掛かった木造の細くてとても長い橋と、国の金で掘り当てられた温泉の他には何もなかった。村民は温泉よりも橋よりも、山菜と空を誇ったけれど、外の空気は冷めていた。

そこに、一匹のクラゲが居た。空飛ぶクラゲである。それだけでは有り触れているが、その飛ぶクラゲはよく馴れていて「みぃ!」と呼べば、「みぃ」と答える。麩菓子やら、片栗粉やらを口に含んで目の前に吐いてやると、口を広げてパクリと喰う。

その愛くるしい姿が評判となり、地方紙に乗り、ラジオに乗り、地元の局が取材に訪れ、その飛ぶクラゲは温泉よりも橋よりも、広く知られることとなり、テレビカメラが訪れた。遥々、東京からである。




テレビの男は当然のように「橋で、」と言う。そこは、古くに作られた木造の細くてとても長い橋の村で、みぃと鳴くクラゲはその村の、新参者のスターである。小さくて少し肥えた男は「みぃや」「みぃや」と呼び寄せて、テレビの男に「みぃは言葉がわかってね、こうして呼べば来るんです。」と、みぃの知性を誇ってみせた。それは、誇ったと書くよりも、称えたと書いた方が正確なものであった。

普段は家中を好き放題に飛び回らせてる少し特別なそのクラゲを、インスタントコーヒーの空き瓶に入れて小脇に抱え、家族総出で橋へと向かう。中年の男と、年老いた父の2人きり。

テレビカメラが向いたとき、男はもう汗だくで、上唇が口元が、ぴくりぴくりと動いていた。「ちゃんと喋れますか?」若い眼鏡のテレビの男は呆れた空気を押し殺しながら男に尋ねる。「大丈夫、大丈夫です。ちょっとまあ、大丈夫です。」

世界が男を向いたとき、男は麩菓子を頬張って、目の前を飛ぶクラゲに向かい、器用にそれを吹いていた。ドングリよりは少し大きな空飛ぶクラゲはその度に、めいいっぱいに身体を伸ばして、落ちてく粉を一呑みにする。東京の、大学を出た黒い髪のアナウンサーが喋ってマイクを男に向けたが、男は構わず粉を吹く。空飛ぶクラゲはそれを一呑み。身の丈よりも、口を大きくして食べる。

やっとマイクを向いた男は段取り通りの問いかけに、段取り通り答えてゆく。「なんでも、そのクラゲは鳴くんですって?」「ええ、読んでやるとですね、答えるんですよ。ちゃんとわかっているんです。」言い終わらぬ内に懸命に呼ぶ。

「みぃ!」「みぃ!」「みぃや、みぃ!」男が呼ぶ度空飛ぶクラゲは、熱々のがんもどきをつぶしたような音で、みぃと答えて1つ鳴く。アナウンサーは手を伸ばし、マイクで小さなその声を追いかける。

朝のテレビで随分と、長く有名な男から、段取り通りの質問が飛ぶ。
「そのクラゲはどこで見つけられたんですか?」




「え?」
男はうまく聞き取れず、狼狽する。

「そのクラゲはどこで見つけられたんですか?」
より丁寧に、繰り返される。

「え?」
背筋を丸めて耳のイヤフォンを両手で抑え、聞き取ろうとする。

「その、みぃちゃんは、どこで見つけられたんですか?どちらで?」
アナウンサーが見かねてなぞる。

汗で光り輝く男は安堵して、段取り通りの質問に落ち着きを取り戻し、それに答える。
「物干し竿の、端に出来ていた、蜘蛛の巣にひっかっかっていたんです。蜘蛛の巣に空飛ぶクラゲが引っ掛かってるだけなら、私も気には留めんのですが、その蜘蛛の巣は、もう随分と前から主がおらんかったもんで、私がちゃんと掃除して、蜘蛛の巣を剥いでおったらそんな事にはならなかったと思うとですね、申し訳なくなって、蜘蛛の巣から離してやったんですよ。そしたらですね、疲れとったのか、朝露で重かったのか、上手く飛べずに落ちるもんで、拾って家へ入れてやったんです。」

男は喋る。
「今じゃあ家族みたいなもんでね、私は煙草を止めたし、親父も煙草を止めたし、昼も毎日家まで帰って一緒に食べているんですよ。」

男は称える。
「頭が良くてね、賢くてね、クラゲがこんなに頭が良いとは思ってもいませんでした。毎日同じ場所で寝て、朝は毎日同じ時間に鳴いて起こしてくれるんです。みぃ、みぃ、って具合に。」

次を急いだ東京のテレビは、段取りにはない問いかけで、男を黙らせようとする。
「最後にもう一度、餌を食べるところを見せて貰えませんか?」

背中を丸めて耳のイヤフォンを両手で押さえて聞き取ろうとする男。
アナウンサーが同じくなぞる。

「もう一度、餌を食べるところを見せていただけますか?」
「ああいいですよ。」と快諾し、男は麩菓子に手を伸ばす。

空飛ぶクラゲが見あたらない。





「みぃ?」
「みぃ、みぃ!」
と、男がクラゲを読んでいる間に「ありがとうございました、空飛ぶクラゲのみぃちゃんでした。」と声が聞こえてテレビは何処か、余所を映した。みぃ、と左手から熱々のがんもどきを摘んだような声がする。池の水面のすれすれをぷくりぷくりと飛ぶクラゲをカメラと皆とが捕らえたときに、クラゲは池の上に落ち、赤と白との鯉が来て、それを一呑みして消えた。

「いやあ、立派な鯉でしたね。」
汗だくの男はそのままの、満面の笑みでそう言って、橋を向こうへ渡っていった。
















テレビカメラに背を向けて。


2006年6月16日金曜日

戦争とか差別とか貧困とかそういった類のものはみんななくなればいいのにね。



それは、髄分の間、僕の頭を悩ませている。

「こわくはないですか?」
と問われるに相応しい人は、どれくらいの数、いるのだろうか。














こわい。
おそろしい。
恐怖を感じる。

学童が剣道の練習に際し発する甲高い叫び声、昨晩の携帯の電話の着信の内容を喋る女学生、新作の清涼飲料水のまずさを人生の一大事のように語る学徒。それらの音、というよりは"空気の震え"と表現した方が適切な類のものが万年カーテンをかすかに揺らす度、恐怖を感じる。萎縮し、恐れ、脅える。おののく。体中の筋肉が強ばり、闇雲に疲労する。頬が、首が、肩が、リラックスの対極へと走り去り、その先へと突っ切ってゆく。一言で書き表すならば、こわいのである。

そして闘う。
闘争である。
苦闘である。

人は、そのような不毛極まる消耗戦に自らを突入させたりはしない。臆病にして無能、凡庸極まる普通の人は闘わずに、ファイナルファンタジー12をプレイしたり、本屋へ週刊誌を立ち読みに行ったり、友達の携帯にメールを打ったり、punyu2のサンプル動画を漁ったり、彼女を夕飯とは名ばかりの夕飯に誘い出したり、コネホを使わないレシャックに苛立ったりするのである。

けれども、僕は違う。
そのように、逃げたりはしない。

闘うのである。
微動だにするカーテンと闘うのだ。

英語で言うならファイターであり、イタリア語で言うならウォリアーであり、スペイン語で言うならクルセイダーであり、日本語でいうならラモス瑠偉である。「そうか、僕は、ラモス瑠偉か」などと早合点し、納得してみたところで、決して僕はラモス瑠偉ではない。サッカーも、フットボールも日本語も、ラモスのようには上手くはできない。ブログというものを書いていると、このように、自らの無能さという現実を改めて突き付けられて、悲しくなるばかりである。だから、僕は、ブログというものを書くことから懸命に、逃げようとしているのだ。けれども、そのもくろみは決まって失敗に終わる。キリストが行くところに必ず奇跡があるように、僕が行く所には必ずブログがあるからだ。

そのように、即ち「闘士である。」と書いてしまうと、まるで、僕が非常に勇敢で闘争心に溢れる人間のように聞こえるけれど、事実はそうではない。僕にはただ、逃げ場がなく、行く宛てもなく、やむおえず、しかたがなしに、生協のトラックの鳴らすオルゴールや、ワラビ餅を止める童の声、天を行くジャンボジェットの雄叫び。それらの音、というよりは"空気の震え"と表現した方が適切な類のものが揺らすカーテンと闘うのである。

僕だって、もしもここにDOTA allstarsがあったのならば、みんな、市井、普通の人のように、尻尾を巻いて逃げ出すだろう。本当に勇敢な、闘士と呼ぶに相応しい奴なんて、おそらくどこにもいないんだ。不毛な消耗戦に自らを投じることを"勇敢さ"と呼んでいいかどうかはさておいて。








けれども、一体である。
僕は、何に脅え、何に緊張し、何に萎縮し、何に圧迫されているのだろうか。

わからない。
よくわからない。
全くもってわからない。
わかっていたとしても、わかっていないふりをする。








それは未練であり、後悔である。
事実、未練であり、後悔である。

しらを切るのはやめにした。
何故なら僕は闘士だからだ。
否、即ちブロガーだからだ。

逃げない。
負けない。
闘わない。




世界が複雑なのに対し、僕の世界に対する認識は単純である。

1つ、宇宙は全てが敵だ。
僕を潰しにかかってる。
全宇宙が僕のブログに、エントリーに、才覚に、知性に、肉体美に、食生活に、美貌に、その他全ての諸々に、恐れ、おののき、脅え、緊張し、萎縮し、圧迫され、やっかみにやっかんで、僕を潰しに掛かっているのである。全宇宙が僕に嫉妬し、拒否し、否定し、潰しにきているのだ。十中八九、100%そうである。

僕はそれら、全宇宙と僕以外の全宇宙を創造した神による、極めて秋田県的なやっかみに基づく迫害と闘い、耐え、忍び、闘争し、それらに脅えながらも、逃げることなく闘い続けているのである。何しろ、逃げ場がない。当然である。敵は、全人類であり、全宇宙である。学童が、学徒が、ブロガーが、匿名コメンテーターが、大統領が、首相が陰のフィクサーが、ビルゲイツが、立花里子が、きめんどうしが、アメリカシロヒトリが、それら全宇宙の構成要素の全てが結託し、僕を、この僕を、立った1人唯一無比なる完全無欠のこの僕を、消しにきているのだ。迫害、心労、多忙、誤読の何れかを訴えるブロガーは決まって全員糞野郎だ。4つ全てが揃った奴はその究極である。




それとこれとは別の話。
即ち、こわさ、という題目から、かなり逸れてしまった。

こわさ、とは何だろう。




僕がこわくて震えていると、カーテンが震えて囁いた。
「そんなにこわがらなくてもいいんだよ。」

確かに、彼の言うにも一理ある。
そんなに、こわがらなくてもいいのかもしれない。

けれども、こわい。
こわいものはこわい。
壊れてしまうのがこわい。

これまでに、僕の回りでは色々な物が壊れていった。Diablo2のインストールキーとか、WarCraft3のインストールキーとか、WarCraft3 TFTのインストールキーとか、それとか、他にも、とにかく、全部壊れていった。だから僕は、今僕が有している、有形無形様々なものがこの先、延々と、壊れてゆくのではないかとおびえ、おそれ、恐怖しているのである。このままでは、全てが壊れてしまうかのように思える。




「おまえが有している有形無形の万物の中で壊れて困るものなど無いだろ」
という指摘は、正しくはある。
しかしそれは誤読に基づいている。




僕が怖がっているのは、その、これまで、僕が愛していた、愛してやまなかった、Diablo2とか、WarCraft3とか、WarCraft3 TFTとか、DOTA allstarsといった、何よりも愛おしく、掛け替えのない物を破壊し尽くしてきた、この僕自身が、これから先、全てを犠牲にしてでも守り抜くだけの価値、全てを犠牲にしてでも愛すべき価値ある、掛け替えのない、何よりも肝心な物全てを、これまでのように破壊し、テトラポットから投げ捨ててしまうのではないかという、自分自身の存在に対する恐怖である。こわいのだ。さらに、買い物依存症の女が買い物でしか快楽を得られないのと同じように、もはや僕は、最も大切な物を破壊し、踏みにじり、投げ捨て、裏切り、反逆の狼煙を上げ、自らを、新たなる苦境へと投じ赴かせる事でしか、生きることが出来ないのではないかという恐怖だ。




だとすれば、何だ。

僕は、こんなにも素晴らしい読者様とか、こんなにも素晴らしいコメンテーター様とか、こんなにも素晴らしいブックマーカー様とかそういった、正しく、問答無用の文字通り、掛け替えのない人々に囲まれて物凄く幸せなのに、それら全てを今宵この晩投げ捨てて、新たなる苦境、言うならばブログを捨ててリアルへという定番コースの黄金軸を指でなぞって辿るつもりですか?なんて心配は僕には無用。

幸いにして僕はとにかく臆病者で、そんな勇気はどこにもない。

もちろん、WarCraft3のインストールキーもここにはなく、僕の逃げ場はどこにもない。だから、やむおえず、仕方がなしに勇敢に、僕はブログを書いている。誰も僕の事なんて知っちゃあいないし、誰も僕の事なんて好いちゃあいない。もう誰も、僕の事なんて覚えていないのと同じように。

だって、そうだろ。

僕はもう、随分と、自分自身についてすら、たくさんの事を忘れてしまった。見たいものや、やりたいこと、好いていたもの、嫌っていたもの、やりたいことや、行きたいところだって、たくさんたくさんあったのに、もう全部忘れちまった。ブログを書かなきゃ、ってただ思うだけだ。全部覚えちゃいない。全部忘れちまった。歳をとる度に小さくなって、しまいにはなにもかも失っちまうんだ。あんなに心から泣いたことも、あんなに心から笑ったことも。そんなこと、最初から無かったかのように思えるけれど、それすらも、もう忘れてしまっただけかもしれない。

やだよ。
こわいんだ。
僕は何一つ失いたくなくて、恐ろしくて、ただ恐ろしくて、消えてしまう前に、なんとしてでもブログを書かなきゃ、って思って、これまでに色んな物を失ってしまったから、そのような悲しみはもう二度と味わいたくはなくて、これ以上もう何一つ失いたくないから、失うのがこわいから、懸命に、懸命に、僕はブログを書いているのに、事もあろうかそれによって僕は色んな物を、次から次へと失っていっているという事実。僕のDOTA allstarsは何処へ消えたんだ。返してくれ。僕のDOTA allastarsを返してくれ。もう二度と裏切ったりはしないから。あれは過ちだったんだ。ほんの出来心だったんだ。STFU。黙れ糞野郎。シャットザファックアップ、くそう。黙るべきなのは僕自身だ。












戦闘機に乗って飛び立つ軍人に、「こわくはないですか?」と尋ねることは、非礼に当たるのだろうか。戦闘機に乗って飛び立つ軍人が戦闘機にのって飛びだつのは「こわいか/こわくないか」という判断を超えたところで、戦闘機に乗って飛び立たねばならない理由があるからである。

この「こわくはないですか?」に込められた質問者の意図は、「命を失うのはこわくはないですか?」というものであり、その軍人が、飛び切りに馬鹿で、尚かつ飛び切りの撃墜王であったならば、「そんな質問」と鼻で笑うかもしれない。けれども、そんな馬鹿で無謀な撃墜王はどこにもいないだろう。王者は常に、陥落に脅えている。どこの世界でも。

あるいは、その軍人が、模範的愛国者であったならば、「お国のためですから」と答えるかもしれない。例えばそのような回答を耳にしたならば、「ああそうですか、お国のためですか」と納得し、さらりと流すべきなのか、「偉い、あんたは偉い!」と称えるべきなのか、判断しかねる。なぜならば、有史以来、軍人とブロガーが真を語った事など一度として無いという真を、僕は知っているからである。




軍人に対する「こわくはないですか?」という問いの犯している最たる間違いは、死を「失うこと」と定義し、生を「失わないこと」であると定義しているという点にある。それは、なによりも大きな過ちである。

多くの人は生きるということを、得ることであると考えている。未知との遭遇であると考えている。新たなる経験、新たなる記憶、新たなる感動、そういったものであると取られている。しかしながら、それは、間違いである。

人間は、失うように出来ている。
可能性を、心を、感情を、脳細胞を、次から、次へと、失うように出来ている。

例えば昨日、僕が書こうとしていた、あんなにも書きたかったエントリーはもう無い。
僕のブログはちょっとしたカーテンの揺れに脅えている間に全て失われてしまったのだ。

また同じように、これから先も、色んな物が失われていくんだ。
もう何も失いたくない。
何一つ。












だから、そうならないためにも、僕はブログを書くんだ。
カーテンの震えに脅えて逃げて。

戦争とか差別とか貧困とか、飛行機とか車とか自転車とか、テレビとかラジオとかインターネットとか、googleとかwikipediaとかyoutubeとか、春とか夏とか秋とか、カレーライスとか寿司とかりんごジュースとか、日本とか北朝鮮とかイランとか、丑の日とか海の日とか子供の日とか、ブリザードエンタテイメントとか任天堂とか東亜プランとか、オリンピックとかWC3Lとかワールドカップとか、セックスとかキスとか泣き笑いとか、はてなダイアリーとかはてなダイアリーに移転する奴とかはてなダイアリーには移転しないとか言いつつはてなダイアリーに移転する奴とかはてなダイアリーには移転しないよとか言いつつはてなダイアリーに移転しておきながらひとつき足らずで更新を止める奴とか、そういった類のもの全て、即ちブログ以外の全てはみんな、この世の中からなくなってしまえばいいのにね。僕のブログを脅かす物は全部。だってそんなのいらないでしょう。ブログ以外のもの全て。




そうすればこんな僕だって、もっときちんとうまいこと。
ブログをちゃんと、書けるのに。