2013年12月26日木曜日

わたし、あなた。

凍えるような寒さがまたどこからともやってきて僕等の首筋を殴るように撫でる。人生は失敗の連続で、失敗を正当化するために論理をねじ曲げ偏屈になっていく。正しいことを正しいように続けていれば正しい人生が待っていると信じる人の頭の上に巨大な隕石が落ちてクレーターが出来て2億年後そこんは珊瑚礁が広がった。

2013年12月25日水曜日

気力がない

気力がない
体力もない
回復する見込みも無い

2013年12月23日月曜日

何度見てもzhouのswapが不可解すぎる。

何度見てもzhouのswapが不可解すぎる。本人はslarkを仕上げてて、muはDKになんの不安もないのにswapしてDKに乗ってモーションが把握できずにラストヒット全然取れない。ここで言う全然とは、「プロとしては全然」ってレベルじゃなくで、3/10とかアタックムーブしてても取れるレベルの事をやってる。slarkのスタックなんて、どうでもいい。dotaはミスが不可避なゲームだから、誰でもミスをする。問題は当たり前のことを当たり前に出来なかったラストヒット。セーフレーンcarryが妨害なくて3/10とかありえない。

サポートのセンスが全く無さそうに見えたzsmjが本格サポートとして覚醒した一方で、dota allstarsの最終到達地点であったzhouが引退危機とは。tongfuの限界が完全に見えてしまっているのはzhouの責任ではなく、pickerが居ないだけで、あのゲーム以外はプレイヤーzhouの責任ではなかった。picker/キャプテンが足りていないだけ。

kabuよりもxttの方が現時点でもう既に僅かに良いプレイヤーだというのもあるし、zhouが引退して誰がpickerになるのか、モチベーションのあるpicker/キャプテン/戦略立案者を得る事が出来るのか。TongFuにはmikasa(aka:sydm)やpis(yaphets)を上げるって手があるから、プレイヤー面に大きな問題はないのだけれど、pickerだけはどうにもならない。

iceiceiceがtongfuでkyxyがDKなら全てが丸く収まってたんだけれど、side soloかcarryでpicker出来るプレイヤーなんてそうは居ない。Luoさんのモチベーションが生き残っているならば、Luoさんくらいかな。古い名前古い名前って言われてもpickerだけはどうしようもない。xiao8はまたしてもプレイング以外の面で完璧だった。きちんと勝って不可解に負けるのがLGD。今日は良い方のLGDだった。

2013年12月21日土曜日

人生を一つにしよう。

いくつもの事をいくつも同時に夢見て、いくつも同時に進めていると、全てのことが混ざり合う。マーブル状になったその現実をスプーンですくって食べていると、少し食べただけで満足してしまう。空腹は去った、それで、さて。

餓えなければならない。僕は餓えなければならない。私は餓えなければならない。空腹で身もだえながら部屋中の十円玉をかき集め、マーガリンの挟まったパンを歩いて買いに出かける程の、飢えを受け入れなければならない。それを望まねばならない。そして戦わねばならない。

餓えて、餓えて、餓えた末に僕が望んでいるものは、塩で煮詰めた段ボール程度の未来である。飢えと闘い、飢えに打ち勝ち、たとえばそれに辿り着き、気の済むまで食べたとしても、僕は幸せにはなれない。飢えは僕を幸せにしない。飢えとの戦いは、僕を幸せにはしない。

僕を幸せにするものは、おそらく穏やかな暮らしである。そして僕はそれを望んでいない。僕が望んでいるものは、そして望み続けたものは、塩で煮詰めた段ボール。たとえば穏やかな暮らしを手に入れて、十分な生活を築き上げ、余興として、冗談として、遊びとして、娯楽として、段ボールを塩で煮詰める事は簡単である。実際に世の中を見渡せば、段ボールを塩で煮詰めてそれを舐め、口に含んで吐きだしてケラケラと笑っている御仁が大勢居る。私はそうはなりとうない。

僕は餓えなければならない。飢えと闘わねばならない。飢えに打ち勝たねばならない。自らがぼんやりと抱いた目標に向け、懸命に前進し続けねばならない。海まで歩き海水を手ですくい太陽に向けて高くかざし、そこに僅か数粒の塩の結晶が浮き上がるのを何度も何度も繰り返さねばならない。山で木の皮を剥ぎ水に浸けて木槌で叩きその切れ端を寄せ集め編み上げて茶色に染めて糊付けし、段ボールを作らねばならない。そうまでして作った段ボールを、苦労して手に入れた塩の結晶を元の木阿弥溶かした水で、煮詰めて煮崩れさせねばならない。それが人生だ。僕の最高の人生だ。塩で煮詰めた段ボール。ふっ、そんなもの。笑うな。泣くな。

2013年12月20日金曜日

やみくもに生きているだけ

よかれと思った行いが悪い結果を生んでいると言うのは簡単だけれど、それは自らがよかれと思った選択肢を選び続けてきたという幻想に縋り付きたいだけ。実際は何も思わず、何も感じず考えず、草原を転がるチーズのようにやみくもに生きているだけ。

余力がない

他に適切な表現が思い浮かばないが余力がない。余力がないわけではない。

2013年12月16日月曜日

あきらめるのはやっ

まだ1時間18分もあるのに今日を諦め、まだ15日もあるのに今年を諦め、まだ僕はこの先100年も生き続けるのに一生を諦めている。

大雪の恐れ。

雨が降れば雨に怯え、風が吹けば風に怯える。目が覚めれば自分に怯え、眠れば他人に怯えて起きる。懸命にキーボードを叩いて言葉を繋げど、そこに浮かぶのは言葉では無い。夜中の2時に目が覚めて、眠る出もなし起きるでもなし。どうすればいいの僕はどうすればいいの。

2013年12月13日金曜日

その昔、金魚ジュースは人だった。

金魚をすり潰すのは嫌だと誰もが言うけれど、ミキサーの中に入った金魚をすり潰すスイッチと金魚になるスイッチのどちらかを押さねばならないとなると、誰もが迷わずミキサーを回す。高速に回転するステンレス製のプロペラが泳ぐ金魚を何度も叩き、金魚ジュースの出来上がり。なのに、誰もそれを飲まない。金魚の命と引き替えに完成した金魚ジュースには目もくれず、人は人として生きていく。決して金魚になることなしに。かつて金魚は人だった。金魚ジュースも人だった。

2013年12月10日火曜日

ただ生きているだけの人生なんてつまらない。

生きてるだけの人生なんて、死んでるだけの人生とかわらない。
あるいはそれよりかちょっと悪い。