2007年8月12日日曜日

遊びのテクニック。



ブログの休止によって時間的な余裕が出来たので、「遊ぶか!」みたいなムードになって、久しぶりに遊ぶぞー!的な開放感に浸っていたのだけれど、何をして過ごせばいいのかまったくもって見当がつかない。これだけ暑夏けりゃ文字通り、椅子に座るのもやっと。苦労して体を持ち上げて、よっこらせと座ったところで全然楽しくない。べらぼうなまでに暑いだけ。ひたすらにブログが書きたくなるだけ。とは言っても肉体的および精神的にブログを書ける状態にはないから休止したわけで、書こうとしても書けない。いや、休止したのだから書こうとしてしまっている段階で敗北なんだけれど、細かいことは気にしない。

とはいえ魂の方は微動だにせず書きたくて書きたくて書け書けとうるさい。仕方がないので「パンデモ永住でもするか!」みたいなムードになり、クロウルを立ち上げたら、クロウルが媒体となって、クロウルを一番遊んでいた頃の記憶が色鮮やかに蘇ってしまい、精神衛生上物凄く悪い。

FFのテーマやドラクエのテーマで当時の思い出が蘇る、みたいなのの、悪バージョン。なにせ、僕の人生のどこを切り取ってみても精神的にダメージを受けるような事柄しか存在しないわけで、「当時の思い出が鮮明に蘇る!」なんてのは最悪の状況。

結局の所ブログが書きたくて困った。遊びたいわけでも、楽しみたいわけでも、ゲームがしたいわけでも、楽をしたいわけでも、幸せになりたいわけでも、よろしくやりたいわけでもなくて、ただひたすらにブログが書きたい。

八月二十日がもう待てない。


WC3L season 12展望



1-2 TitaN vs FoCuS
0-2 Happy vs Luci
1-2 Fly100% vs susi
2-0 SaSe vs EVE
0-2 sase fly vs luci susi

手も足も出ず。
仮にMYMがmoonを使っていれば(SaSeはmoonに絶望的なまでに相性が悪いので)100%スイープ。とは言え、今期のmouzのわくわく感はWC3L史上屈指。堪えられない。

ちょっと読みの薄い所があるが、問答無用のエースとなったTitaN、研究されて一時の勢いは完全に逸してしまった凍てつく息吹Happy、対UD、対NEではGrubby,Lynに後れをとるが、対Humでは2人をも凌ぐ攻撃的なFly、欧州で最も上手いながらも致命的なまでの脆さを持つガラスのエースSaSe。

全員が世界的なプレイヤーではないので全ての試合で4人を使えるので、相手が遠征等で主力を欠けばMYMやSKが相手でも拾える力はある。(全然拾えてないけど)




一方壮絶金満補強のSK。
remind、Lynをリアルマネーでgetして、押しも押されぬ欧州最強neのhot、未だにxyl/nilkよりも遙かに強いinsoと文句のつけようがない面子。盤石。これまで致命的に勝てなかった2v2もkoreanに任せられるので、実質3勝分の補強。でもremindもlynも好きなプレイヤーではないのでsk応援するのはやめ。

少し気になるのは、シーズン12ですでにWEとして戦っているremind,lynが新チームでいつから出られるのか、という事。まあ、2人がいなくてもプレイオフにはぎりぎり辿り着ける可能性が高いので、おそらく大丈夫とは思うけれど。




昨期優勝のWE.IGEは事実上の完全崩壊。
なにせ、昨期優勝の原動力となったremind、lynがSKにシーズン中に引き抜かれ、同じく昨期優勝に決定的な仕事をしたsojuまでもがシーズン中に移籍先チームが決まっていないのに<脱退>。弱体化した、というレベルではなく、どうでもいい普通のチームに。

ここまで来ると、残留を選択したskyの方が奇妙に見えてしまう。
50万ユーロ/2年で引き抜けなかった、というのは本当なのだろうか。それは無いだろ、という思いはありつつも、昨今の相場からすれば「あり得ない」とは言い切れないのが恐ろしい。だとしたら幾ら貰ってるんだろう。

仮にskyに対しては莫大なサラリーを提示して引き留めに成功したものの、支払い与力を使い果たしてしまった、とすれば、remind、lyn、sojuがそれに不満を持って契約更新に応じず、シーズン中にも関わらず突然離脱した、という成り行きにも納得が行く。少なくとも2v2の存在するWC3Lに限定すれば、remind/sojuの貢献度はskyをも上回っていたのだから。

sojuではなくlynを取ったSKの選択が正しいのは確かだけれど、発売以来アジア最強タッグとして君臨し続けてきた戦慄のsojuReMinDが見られなくなるのはかなり残念。




creoは正しく有終の美。「欧州の未来」と呼ばれるに値するプレイヤーだった事を見せつけた。内容はそれ程ではなかったみたいだし、bconが欧州の人間に有利なのは確かだけれど、やはり勝てる、というのは凄い。
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season:mym sk bet 4k WE mouz
final:mym sk 4k bet


ブログ休止します。~8月20日



8月20日までブログ休止します。休止期間中も更新はするけれど、宵越しのブログは一切書きません。二進も三進も行かないので、少し完全に休みます。


2007年8月9日木曜日

蒸散



具合が悪い。半分は夏のせいで、半分は僕のせいだ。けれども、夏には責任能力がないから、その責任は全て僕にのし掛かってくる。尻ぬぐいはいつも僕の役目で、それにつけ込み真夏は増長し続ける。熱帯夜にまでも踏み台にされ、僕はますます失われてゆく。理不尽とまでは言わないけれど、嫌な季節だなと思う。

蝉が童が夏風が、壁と雨戸を貫いて、僕の行く手を妨げる。入道雲に解き放たれた熱い視線と希望の群れが、四角くなって押し寄せて、エクリン腺を閉じ塞ぐ。僕が夏を嫌っているのと同じくらいかそれより強く、夏だって僕を嫌ってるんだろう。頭痛、朦朧、意識は飛んで、熱く、熱く、引き剥がされてゆく。余計なものは、蒸けてなくなる。


2007年8月8日水曜日

Google→アカウント→ウェブ履歴→統計



http://farm2.static.flickr.com/1077/1042786459_2f58471e55.jpg
悔しい。
妙な敗北感。

ブックマークを使わずに検索バーからの「I'm Feeling Lucky」で飛んでいたからこんな結果に。リンク集として使用し続けてきたせいで2冠。sk-gamingとかもmkdから飛んでたから、これを抜くのは相当厳しそう。まったくもって忌々しい。せめてexcite翻訳は抜きたいので、まずは英語のブログを読むのを止める事から始めてみようと思った。世界は狭い方がいい。僕らの他には何もいらない。




http://farm2.static.flickr.com/1014/1042886591_47e44da271.jpg
こんな風に行動が可視化されるのは大好き。
僕の全てを見ていて欲しいという欲望と、自分の全てを見ていたいという欲望が同時に満たされる。声も出さずに過ごしていると、自分が本当に存在しているのかどうかという疑いが鎌首を擡げてきてしまうから、それに対する抵抗力としても機能してくれる。last.fm(音楽履歴)とか、sbs/tmbler(興味履歴)とか、twitter(愚痴履歴)とかも、「私の全てを見て欲しい/自分の全てを目にしたい」という欲望を捉えていると思うのだけれど、検索エンジンの検索履歴というのは「自らの行動」なのだけれど「管理制御は行き届かない」という微妙な部分なので、さらに自らがさらけ出されて、俯瞰の俯瞰が現れる感じがする。YES、Googleはcoolだ。けれどもなぜだか少しだけ、悲しい気分に陥った。




他の人のも見てみたい。


僕にはもうブログなんてものを書き上げる力は残っていない。



僕にはもうブログなんてものを書き上げる力は残っていない。ここに、曲がりなりにも読むに値するエントリーというものが存在していると思ってアクセスしているならば、それは大きな間違いだ。そんなものここには無いし、あるいははじめから無かったのだ。もちろん僕はあなた方を責めたりはしない。「何もない所に何かがあるように勘違いしたおまえが悪い」などと言うつもりはない。あまりにも砂漠が広すぎる時人はオアシスの存在を信じて灼熱の砂粒に清らかな水滴を見る。

言うまでもなく僕にはもうブログなんてものを書き上げる力は残されていない。ここに、曲がりなりにも読むに値するエントリーがいつしか生み出されるのではないかと期待してアクセスしているならば、それは大きな間違いだ。そんなものここには無いし、あるいははじめから無かったのだ。未来永劫生み出される事もない。もちろん僕は一番大切な事を言って聞かせる。時間は有限だという事だ。くだらないものを読んでいる暇はない。つまらない事に足止めされなかった人間だけが先へ進めるのである。

もはやキーボードを1つ叩く力も残っていない。ブログなんて書けない。肉体と精神と魂はそれぞればらばらで、おまけにそれぞれくたばっている。僕にはもうブログなどというものを書き上げる力は残っていない。ここにはもう何もない。いやはじめから何もなかったのだ。もちろん僕はあなた方を責めたりはしない。「何もない所に何かがあるように勘違いしたおまえが悪い」などと言うつもりはない。

インターネットエクスプローラのアイコンをダブルクリックする力もない。狭い宇宙のどこを探しても投稿ボタンは存在しない。僕にはもうブログなど書けない。そんな力は残されていない。左の瞼を持ち上げる力もない。果てしなく眠たい。どれだけ寝ても寝たりない。満たされる日は永遠に来ない。

ここには読むに値するエントリーは無い。い。ここには読むに値しないエントリーすらない。ここには読むに値するブログは無ここには読むに値しないブログすらない。未来永劫。永久に。ここには見るに値するエントリーは無い。ここには見るに値するブログは無い。ここには見るに値しないエントリーすら無い。ここには見るに値しないブログすらない。ここにブログはありません。

僕にはもうブログなんてものを書き上げるはおろか書き出す力も残っていない。そんなものは遠い昔に失われたいやはじめから無かったのだ。もちろん僕は責めたりしない。「何もない所に何かがあるように勘違いしたおまえが悪い」などと言うつもりはない。僕が悪い全て僕が悪い。


2007年8月5日日曜日

人生



begin
____s := 'Hallo World';
____ShowMessage(s);

____LOOP_POINT:
________s := 'さようなら';
________//ShowMessage(s);
________goto LOOP_POINT;
end;


2007年8月4日土曜日

とりあえず、これだけは先に言っておきます。



私の購読フィードは53万です。


2007年8月2日木曜日

失望したい人達。



インターネットを彷徨っていると、あちらこちらで、「失望した」という声を耳にする。


けれども、僕には彼らが「望みを失った」敗北者には見えない。
僕の目には、彼らは「望みを叶えた」勝利者に見える。










「彼らは失望したかったのだ」というのが僕の結論である。

「失望した」と発言している人達は、心の底から、あるいは心の奥底で、失望したいと真に望んでいたのだ。そして、彼らはその願いを叶える事に成功したのでる。




何かに向かって「失望した」と言う人は、僕の知る限り、一人残らず自分自身に失望している。その、自らに対する失望という心象は、決して心地よいものではない。目覚めてから目覚めるまでの全ての時間に暗い影を落とし、それらを辛さ、苦しさ、といった暗がりの方へと少しずつ引きずって行く。




その、「際限なく沈み行く気分」から逃れるのに最も効果的なのは、「希望を取り戻す」事である。自らに対する失望を打ち砕き、希望を抱いて明日を目指すことである。

けれども、「自らを希望へと導く」というのは、極めて困難な作業である。積み重ねてきた歳月の、一秒一秒に刻み込まれた失望が、ヘモグロビンの中の中まで染み込んで、希望の種は芽を出す前に、力を奪われ四散する。




そして「希望を取り戻す」というあまりに困難すぎる作業を諦めた彼らが次に目指すのが、「<自らに対する失望>を、<ありふれたもの>だと位置づける」という作業である。

「自らに対する失望なんて、気にするようなことじゃないよ。」「自らに対する失望は、ごくごく普通のことだよ」「自らに対する失望なんて、取るに足らないちいさなことさ。」と、自らに対する失望によって被るダメージを、普遍化させ、「気に病むようなことではない」と位置づけようとするのである。





その為に、彼らはまず、地球上、ありとあらゆるものに希望を託す。

CL圏内ぎりぎりのフットボールチームでもよいし、少し小柄なサラブレッドでもよい。インディーズシーンを飛び出したギター語りのミュージシャンでもよいし、裏ストリームの漫才師でもよい。あるいは、大きすぎない瞳を描く漫画家であったり、新進気鋭のIDOLだったり。

そういった、ちょっとしたものに、いろんな思いとを注ぎ込み、希望の全てを委託するのである。そして、頃合いを見計らって、手のひらを返すのである。

「裏切られた」などと口汚く罵ったり、「期待していたのに」と愚痴を並べたり、「愚かだった」などとふさぎ込んだり、といった具合に十人十色様々に、あの手この手で「失望」を行う。

彼らはそうすることによって、「自らに対する失望」の比重を下げるのである。
ほんの僅かに少しだけ、気楽に過ごせるようになるのである。





けれども、その効果も、そう長くは続かない。「希望」という人間の根幹に関わる感情を費やしてまでやっとこさ、手に入れ掴んだ失望の効果は、あっという間に切れてしまう。そして、彼らは追われるように、次の希望を求めて立ち上がり、一歩、一歩、歩み出す。次の失望を手に入れるために。


2007年8月1日水曜日

お気に入りのブロガーが理不尽なまでに凄まじいクオリティのエントリーを連発しまくって困る。



世の中には、面白いブログのエントリーを書く才能を持った人というのが、一定の割合で存在していて、それ自体はどうであっても構わないのだけれど、運悪くそういう人を好きになってしまって困っている。本当に困っている。困窮しているのである。




僕がブログを書くのは、「ブログを書きたい」からブログを書いているというのはもちろんなのだけれど、それと同時に「ブログを読みたい」からブログを書いているのである。

ところが、そういった理不尽なまでに面白いエントリーを、それも物凄いハイペースで毎日欠かさず書きまくっているブロガーを運悪く好きになってしまうと、「ブログを読みたい」という衝動情熱その類が異次元彼方に飲み込まれ、寸断されて消えてしまう。

「ブログを書きたい」という動機と「ブログを読みたい」という動機はたとえるならば両翼、両脚、両輪であり、どちらが欠けても「ブログを書く」という営みは深刻な影響を受ける。

その影響が、「ブログに対する興味が失せる」というものならば、まだ良い。何の問題もない。問題もないというよりも、まるきしハッピーエンドである。

けれども、そういった類の、べらぼうなまでに凄まじいクオリティのブログを読む事によって失われてしまうものは、「ブログに対する思い」という両翼、両脚、両輪ではなく、「ブログを読みたい」という片翼、片脚、方輪であり、取り残された「ブログを書きたい」という片翼、片脚、方輪はぐおんぐおんと暴れ狂い、砂塵を上げて絡まるカシミヤのロングマフラーを切り刻んでは投げ千切り、辺り一面散らかして、鳴門の渦に消えてゆく。

ならば、そういった類のブログ、つまり面白いブログのエントリーを書きまくる才能を有したブロガーのブログを読まないようにすればいい、というのは解決策の提案としては極めて正しい。台風の日と大地震の日には海に近づかないようにすればいいよ、という現実的な提案である。けれども、考えの道順自体は物凄く正しいのだけれど、それを実行に移せるかというと、それは、ちょっと、不可能だ。

何故ならば僕はその、理不尽なまでに面白いブログのエントリーを書きまくる才能に満ちあふれたブロガーの事を、世界が僕らを許すなら、今すぐ5人でハネムーンくらいに好きになってしまっているからだ。この忌々しい世界さえ滅びてしまえばれば、この瞬間にも両手両足に花なのに。いや、この場合は両足よりももっと適切な場所があるだろう、という指摘は極めて正しいものだと思う。

即ち、僕の要求は単純至れり極まれりで、理不尽なまでに凄まじいクオリティのエントリーを書きまくるブロガー諸姉は、たまには凄まじくつまらなくてからっぽの糞エントリーも書いてくれないと困る、という事なのです。誰が困るって、僕が困るのです。ああ率直に言わせてもらえばもう無理もう駄目絞り絞って捻り巻いても涙の一つも零れない。痩せこけ草臥れ能力不足。自信喪失。僕にはものはやブログなんてものは書けっこない。精神的に参ってしまって。心折れ朽ち果てる寸前の彼方。

ところが、理不尽なまでに凄まじいクオリティのエントリーを書きまくるブロガーというのは、「つまらないエントリーを書いてください」と頼み込んでも紛いなく、理不尽なまでに凄まじいクオリティのエントリーを書き上げてしまうのだろうという絶望的なまでの圧迫感が差し迫る現実事実24時零分零秒YOサマー。YO、YO、サマー。YOサマー。