2015年4月4日土曜日

春に力が吸い取られていく

力が吸い取られていく
吸い取っているのは自分

必要の無い目標をたてて
必要の無い努力をさせて
必要の無い叱咤激励

時には自分を褒めたりして
あるいはどうしようもない
現実を叩付けたりもして

力が吸い取られていく
体のあちらこちらから
新緑が芽生えて育つ

初々しい茂みだった僕は
苦悩と努力を重ねた末に
枯れ木を引きずって僅かに歩く

葉は落ち、枝は折れ、根は腐る。
体の表面に大きく歪な穴を作って抜け落ちる。

そこから肉が腐っていく
痛みと悪臭に耐えかねて
澄んだ心も濁っていく

枯れた大木の最後の一本を
胸にしっかりと抱えて歩く

かつては命溢れる新芽だったそれも
今は腐って垂れている

命ある物はもう何も無い
吸い取る力も残っていない
けれども春、また、新芽が生える

今度は何を吸い取るつもりか
僕から何を奪い去るのか






2015年4月3日金曜日

くだらないインターネットってのはようするにくだらない人

くだらないインターネットを見て不愉快な気分になることが大好きな人達にとってのインターネットはまさに天国で、twitterなんかにはそういう人が大勢居る。くだらないインターネットを見て不愉快だ不愉快だと息巻いている人達である。

けれども僕のような普通の人間にとって、不愉快さは不愉快さでしか無い。そんなものを楽しもうという神経は持ち合わせていない。不愉快な気分になど、ならないにこしたものはない。であるからして、不愉快なインターネットを丁寧に回避しながらインターネットをしていると、インターネットは不愉快ではなくなるはずなのだがそこには落とし穴があって、インターネットとは結局の所は人間であり、不愉快なインターネットとは、不愉快な人間である。そして、不愉快な人間は不愉快であるが故に不愉快さの権化と化して近づいてきて、不愉快さを撒き散らす。心の底から死を望む。いやそんなものは生ぬるい。生きたまま豚に喰われてしんだとしても、連中によって作り出されたインターネットの不愉快さには遠く及ぶまい。

探すのではなく溢れ出る言葉を

お腹がすいたのかもわからず、眠たいのかもわからず、頭が痛いのかもわからず、風呂に入りたいのかも、歯を磨きたいのかもわからず、歩きたいのかも走りたいのかも、歌いたいのかも泣きたいのかもわからず、戸惑って言葉を探す。自分が今何を欲しているのかを説明してくれる言葉を探す。心の中を素手でまさぐり、どこかに閉じられた弁があって、そこに少し触れてやるだけで弁が緩まりその僅かな隙間から無限の言葉があふれ出てそれは決して止めることの出来ない潮流となって僕をどこか素敵なところまで押し流してくれるのではないかと、僅かな期待を寄せて静穏な、心の中は踏み荒らされる。溢れ出るはずの何かを求めて彷徨う自らの手によって荒廃した心の中を少し覗くと悲しい気分になるけれど、溢れ出る涙はどこにもない。溢れ出る言葉はどこにもなくて、探し出されたのではなくまるで捏造されたに等しい言葉の羅列がこれであるそうだ。

2015年4月2日木曜日

隣の熊は今日も青い。

熊になれやしないかと思う。ただし熊にも弱点はある。銃弾である。もしも熊になれたとしても、銃弾を喰らってはひとたまりも無い。銃があまりにも強すぎるが故に、熊になってもなんんお意味もない。銃弾で傷つくことの無い熊になればほとんど全ての問題は解決するけれど、それはもう熊ではない。銃弾で傷つかないというだけのものである。銃弾で傷つかないだけならば簡単だ。隣の熊は今日も青い。

2015年4月1日水曜日

4月は心を躍らせて

4月が来てまるで何かが新しくなったような気がするけれど、何も変わらない。どうでもいいものや、どうでもいいことを変えるのは簡単だけれど、本当に変えたいことを変えることは出来ない。現実は重く、春は重く、瞼もまた重く、決して変わらないものだけが僕の上に重くのし掛かる。海から逃れようとしても、潮はもの凄い勢いで満ちて、一面の桜の花びらでピンクに染まった海水で僕は濡れていく。月が落ちればいつか引くと信じていた海は、月ではなく自らの悲しみと苦しさに引き寄せられて押し寄せていたものであり、見渡す限りを埋め尽くすその勢いは月が地球を何度回っても止まらずに、燃えるように逃げ惑いながら、僕は溺れて死んでいく。

2015年3月20日金曜日

セミは死ぬ前が一番うるさい

7年もブログを書いていなかった人が突然に一日数度もブログを更新しはじめると、この人はそろそろ死んでしまうのではないかとセミに習って心配するが、セミは初めて鳴いて一週間で死ぬ生き物であり、かつて勤勉にブログを書いていたこの人はその例には当てはまらないだろうとほっと胸をなで下ろし安心しておざなりに読み流す。彼の人はセミではなく人間であるという事実は、津波が人を飲み込む正常化バイアスによって忘れ去られる。

2015年3月8日日曜日

良い事

寝て良い事はなく、起きて良い事はない。それ以上の事実はなく、事実以上の事を書く気力もない。

2015年2月17日火曜日

一番素敵な日

具合が悪くて横にもなっていられない日には、何か素敵な事でも書こうと思い立つのだけれど、具合が悪くて何も出来ない。これが今の僕にとっては精一杯の一番素敵な日

2015年2月11日水曜日

冬は風で飛んで

真夜中に目が覚めて居場所を失い天井の上の見えない空を見つめながら、雲の上を行く旅客機の警告灯と同じペースで瞼を上げ下げして自らの居所を探る。夢の中で見た熱狂にも、春の夜の静寂にも、自分の居場所はない。

2015年1月14日水曜日

人間は1つのことしか出来ない。

人間は1つのことしか出来ない。歌いながら歩いているように見える人は歌いながら歩いているのではなく浮かれているのであり、笑いながら目を伏せる人は笑いながら目を伏せているのではなくただ悲しいのだ。それは人に限った話ではなく、羽ばたきながら食べる物を探す鳥は羽ばたきながら食べ物を探しているのではなくただ飛んでいるだけであり、同じようにもはや人とは呼べぬ僕にしたって小さな世界の中で色んな事をしながら時には笑ったり喜んだりしているように見えて、色んな事をしながらまるで人間のように生きているのではなく、ただ泥を舐めながら苦しんでいるだけなのである。これまでもずっと、これからもずっと。