2005年2月16日水曜日
アマゾンアソシエイトにNOと言え。
世界には2種類のゲームレビューがある。
良いゲームレビューと、悪いゲームレビューだ。
ウェブ上では今日も後者が猛烈に増え続けている。
実に腹立たしい。
良いゲームレビューの条件というものを書き連ねるのは不可能に近い。しかし、はっきりしている事は、悪いゲームレビューでは無いものが、良いゲームレビューであるという点である。
それに対して、悪いゲームレビューの条件というのははっきりしている。
ゲーム内容以外のものが文章に影響を与えているレビューである。
これは、悪い。
悪いレビューの中で最も有名だったのは、大口スポンサーである特定企業のゲームと身内のゲームを絶賛し、金で点を買えると囁かれていたファミコン通信のクロスレビューである。
当時一般のユーザーが目にする事が出来たのは、すべて悪いゲームレビュー、即ち紐付きレビューであった。それら紐付きレビューを読んで、オープニングとBGMだけは良く出来た糞ゲーを掴んでは泣き寝入り、というのが当時は一般的であった。
事情が変わったのは、インターネットが登場してからである。
紐付きではないインプレッション、紐付きではないレビュー、紐付きではない感想、というものがいくらでも手に入るようになった。
ところが、近頃悪いレビューが凄まじい勢いで増殖している。
ブログと、Amazon.co.jpによって。
彼らは公平で善良でセンスに溢れたフレンドリーなブロガーであるを装っておいて、突如として紐付きレビューを書き始める。ある日突然にアマゾンへの直リンクが現れ、画像が現れ、検索ボックスが現れる。
ゲーマーならば必ず1度は嘲笑した事があるであろう紐付きレビューというものを、そのゲーマーが大量に生産しているというのは恥ずべき事ではないのか。恥ずべき事であるかどうかは本人次第であろうが、苛立たしい事態である事は確かだ。
最初はブロガー自身が思いいれのあるマイナーなゲーム、黒の剣だとか北へ。だとか、リンダキューブアゲインだとか、キングスフィールドだとか、はじめの一歩だとか、夢を見る島といった類のものへのリンクがレビューと共に張られる。
次に、ブロガー自身が最後にブレイしていたタイトルが張られる。
ここまでわかりやすい。
次の一手は、それらよりも更にわかりやすい。
ドラゴンクエスト最新作が発売日が決定しました!!
筆者はもう予約しました!!
エースコンバットの最新作が明後日発売されます。
筆者は絶対に買います!!
ファイナルファンタジーが今日発売されました。
筆者は明日にでも買おうと思っています!!
ウイニングイレブン最新作が発売中です。
筆者今やってるゲームをクリアしたら買います!!
バイオハザードの最新作が話題になっています。
物凄いグラフィックです!!
筆者はゲームキューブを持っていないのでとりあえず見送ります。
PSPが発売されてます。
いやあ、面白そうですね!!
DSが。
欲しいです!!
手に入れたら手に入れたで、正真正銘の紐付きレビューがやってくる。
大抵は絶賛、絶賛、大絶賛なのだが、時には手を変えやってくる。
「敷居の高さはあるものの、シリーズのファンなら絶対買い」
「内容は上記の通りなのですが、BGMが素晴らしいので」
「不満点ばかりあげましたが実は超満足しています」
「このジャンルの入門用としては最高の内容」
悪いレビュー、悪いレビュー、悪いレビュー。
糞レビュー、糞レビュー、糞レビュー。
彼らの言い分はこうだ。
「ゲーム代が欲しいので」
働け。働いて稼いで買え。
「サーバー代が欲しいので」
働け。サーバー代くらい働いて稼げ。
「更新のモチベーションを保つ為」
更新するな。悪いレビューをウェブ上に増やすな。
アマゾンアソシエイトでサーバー代を稼ぎたいなら稼げばいい。
ゲーム代やらサーバー代やらモチベーションを稼ぎたいのであれば、公平で良心的なゲーマーを装いながら悪いレビューをウェブ上で公開するという手法を用いて行わず、「お小遣いゲット大作戦」だとか、「アフィリエイトで月400億円」だとかやって、やりたい放題やればいい。
その一方で良いレビューを書けばいいではないか。
ブロガーは無数にいても、ゲームに対する立派な文章を書ける人間とは少ない。その貴重な人間が次々に悪いレビュー書きへと転身していくのを見るのは非常に心苦しい。
もしも、現在ゲームレビューを書いている方、あるいはこれからゲームレビューを書かんとしている方がこの文章を読んでいるならば、悪いレビューを書く側に立つのか、良いレビューを書く側に立つのかを考え直していただければこれ幸いである。良いレビューが読めるようになるツールであるインターネットと、ブログというものの価値を。
現在でも紙媒体やインターネット上に大量に存在する4gamer光栄やファミ通スクウェアに代表される紐付きレビューというものを1度でも笑ったことがある人間であれば、紐付きで無いレビュー、悪いゲームレビューでないゲームレビューを書くって事が、悪くないものだって事はわかってもらえるのではなかろうかと、悪いゲームレビューブロガーによる悪いゲームレビューブロガーへのエントリー。
インターネット革命をもう一度。
いや、アマゾンアソシエイトに参加しているブログであっても、張ったアフィリエイトがTHE地球防衛軍とルナティックドーンとウィザードリークラシックスだけであり、ドラゴンクエストもバイオハザードもPSPも張ってない、というものならば紐付きと言うよりもリンクを張っただけかな、などと思わなくも無いのですが、それならいっそ、純粋な良いレビューの側へ立った方が。
というか、そもそも予約していても発売日に届かないAmazon.co.jpへのリンクを「アマゾンで予約受付中です」などと張っている時点でその神経を疑うのだが。
2005年2月15日火曜日
カッターナイフで
レゴブロックを削っていた。
うまい具合に家には一人。これ幸いと、レゴブロックを削っていた。
レゴブロックを削っていたというだけであれば、どこにでもいる健やかな小学生の穏やかな午後といった様相であり、ありふれた平和で平凡な日常の一こまだ。
しかしながら、僕がレゴブロックを削っていたという文章をブログに書いているという事は、その後に平和で平凡ではない日常の一こまが待ち受けていたという事である。
問題の所在ははっきりしている。
テレビがついていた。いや、テレビをつけていた。
生き物地球紀行を見ながらレゴブロックを削っていた。
銀色のゴリラがよろしくやりたい、よろしくやりたいと茶色のゴリラを追い回していた。
茶色のゴリラが逃げ疲れて銀色のゴリラに肉薄された時、カッターナイフが人差し指を貫いた。血がドバドバと流れ出し、レゴブロックとソファーを染めた。
ひとしきり嗚咽した。
そして、慌てた。
これはまずい、と。
そのソファーは新調したばかりで、新調したクッションが乗っていた。
なにもかもがいやになりながら親指と中指で人差し指を拘束するのに気を取られている間に、それらに赤が付いており、これは嗚咽じゃすまないな、と本能的に察知した。
事の重大さに落ち着きを取り戻した僕はガムテープを取りに行き、人差し指に巻き付けた。そしてそのままソファーまで戻り、ソファーの赤い部分にガムテープを丁寧に貼り付けてゆき、どこから見ても赤い部分が見つからないようにした。それから、クッションの赤い部分にガムテープを貼り付けて、どこからどう見ても赤い部分が見つからないようにした。
誰かが訪れる前に全てをぬかりなくやり遂げた事に満足し、カッターナイフでレゴブロックを削った。けれども指が痛くてうまく削れず、カッターナイフを諦めてレゴブロックを綺麗に片付けて、一人でテレビを見ていた。
そうしていると、家人が帰ってきた。
嗚咽せず泣いて、こっぴどくしかられた。
「なんでガムテープ!」
などと言われながら病院へ引きずられた。
僕は僕が残した痕跡を跡形もなく片付け消し去り、証拠という証拠の全てを隠蔽していたにもかかわらず、どうしてか、それらは全て、すぐにばれた。
これは誇るべきエピソードだ。
証拠隠滅を成し遂げたにもかかわらず、全てがすぐにバレたという事は、僕が裏表の無い嘘のつけない人間である事を指し示しているわけであり、どこに出しても恥ずかしくないブログ投稿である。少しばかりの誇らしさはさておいて、話を進める。
カッターナイフでレゴブロックを削っていたのには、理由がある。
リユウと書いてワケと読ませたいとかそうゆう意図はまったくなく、純粋にカッターナイフでレゴブロックを削っていた理由を書こうというだけの事である。
レゴブロックを削っていたのは、レゴブロックを削りたかったからである。レゴブロックを削りたかったのには、理由がある。
リユウと書いてワケと読ませたいとかそうゆう意図はまったくなく、純粋にレゴブロックを削りたかった理由を書こうというだけの事である。
レゴブロックを削りたかったのは、レゴブロックに弟がマジックで線を引いたからである。
レゴブロックに弟がマジックで線を引いたのに、理由があるかどうかは知らない。知らないが、数字やら矢印やらカタカナやら記号やらがそこらじゅうに書かれており、僕はそれを消したかった。弟が書いた痕跡を全て消してしまおうと、カッターナイフでレゴブロックをひたすらに削った。
マジックで数字や矢印やカタカナが書き入れられたのは、それよりも随分と前の事である。僕はそれに猛烈に抗議したのだけれど、兄である僕が我慢すれば全てはうまく治まるのだと指摘された。
その通りだ。
波風は立てたくない。
僕は全てを飲み込んだ。
けれども、レゴブロックで遊ぶ度にそれらは僕の目に入る。
一人で「ずがしゃーん」とか「きゅいーん」とかくぐもっていたいのに、マジックで引かれた弟の痕跡がそれを許さない。僕はそれが嫌で嫌で、それをずっと抱えたままで、その機会をうかがっていた。
僕はずっと消したかったのだ。
僕の世界に入り込む、僕以外の痕跡を。弟を。
そしてそれは訪れて、こっぴどく叱られた。
けれども、今思えばあれはよかったんだ。
とても幸せな事だったんだ。
だって、そうだろ。
こうやってブログに書けるのだから。
多くのブログが日記と時事の日常で構成されているのに、僕にはブログに書ける日常が無い。テレビも無い、ラジオも無い、風呂なんて数年入ってない。出社も電話も飲み会も無い。書ける事など何も無い。
いや、僕にだって日常は存在するんだ。
けれども、それらはエントリーにはなりっこない。
だって、インスタントコーヒーの瓶に入れた札とコインを夜な夜な指折り数えては、DOTA allstarsを買い戻すべきかどうなのか真剣に悩みながらオークション統計ページをクリックしているとかそんな事、ブログに書けやしないないだろ。
人間ってのが日常を生きていると、悲しいこと、嬉しいこと、悔しいこと、つまらないこと、そういうのがいっぱい通り過ぎて、言いたい事、書きたい事は溜まって行くもんだ。
真性引き篭もりブロガーの日常というのはそれとはまったく違う。
悲しいこと、嬉しいこと、悔しいこと、つまらないこと、そういうのがいっぱい通り過ぎて、言いたくない事と書きたくない事、それに見せたくない事ばかりが溜まって行く。
その中でブログを書く。
書く度に「書けた」と安堵する。
うまく書けた時はうまくいったと思い、
うまく書けなかった時はうまくいかなかったと思う。
その両方に共通しているのは、もうこれ以上のものは書けないだろうという、劣化し続ける自分と自分の文章への正当な眼差しである。
うまくいった時ほど、あとは落ちる一方だと恐ろしくなり、読み返すのも、コメントを見るのも、同じブロックブログに開設されたブログを見に行くのも怖くなる。駄目な投稿はF5連打してもへっちゃらなのに。
手持ちのカードは増えないのに、手持ちのカードを切ってゆく。
これがババ抜きや大富豪であれば、僕は幸せ者だろう。
無くなったら勝ちなのだから。
けれども、これはババ抜きでも大富豪でもなく、ましてやDOTA allstarsでもない。切れるカードは既に無い。しかしゲームは果てなく続く。
それすら全て尽きたならば、僕は真性引き篭もりでは無くなり、同時にブロガーでも無くなるのだろう。
「それも悪くは無いな」
と、ふと思う。
アクセスしてくれる人がいるという事実や、自分が真性引き篭もりではなくブロガーであるという恍惚、寄せられるコメントやメールといったものは嬉しい。
だが、それがなんになるというのだ。
真性引き篭もりをやめて、ブロガーをやめて、DOTA allstarsを買い戻せばアクティブで刺激的な日常が戻ってくる。そっちの方が大事なんじゃないか、って。
だけど、そんなにうまい話は無い。
ゲームが下手な僕にとってのDOTA allstarsというものは、敗北と絶望と失望を連れ添わずには遊べない代物なのだから。それと比較すると、ブログというのは本当に素晴らしい。
僕がブログを投稿すると、その真意を知るのは世界中でただ一人。
それはとてもいい優越感だ。
化け物の正体を知っているのも、透明人間の正体を知っているのも、太陽の正体を知っているのも僕一人だ。世界でただ一人、特別な人間だ。たった一人、ただ一人。
喧噪から離れて投稿ボタンを押す瞬間だけが僕が僕を真性引き篭もりである僕から世界でたった一人の特別な僕へと変化させられる時であり、その瞬間だけが一人の僕を癒してくれる。
だから僕はブログを書く。僕を満足させる為。
書いて、書いて、書き続ける。
カッターナイフで。
2005年2月14日月曜日
製作予告
名称未定のエラーを直そうとしていたら、
余計に壊れて物凄い事になってしまった。
.exeクリックすると名称未定.exeがタスクトレイに1秒ごとに1つづつ増えてゆく。恐ろしい。
「これは駄目だ。」
と思って、「閉じる」をクリックしてアプリケーションを終了させようとしたら、どどどどどどどどっと物凄い勢いでタスクトレイに増殖した名称未定.exeが点滅を繰り返し、一切の操作を受け付けてくれなくなった。
こんな時は「Ctrl+Alt+Delete」を押せばいいんだ。
と、なけなしの知識と指を総動員してCtrl+Alt+Deleteを押しっぱなしにしてみても、名称未定.exeが点滅し続けているおかげでウインドウズは一切の操作を受け付けてくれないわけで、何も起こらない。
我慢に我慢を続けて2分くらいCtrl+Alt+Deleteを押しっぱなしにしていると、突如として400個くらいの「Windows タスクマネージャ」が出現した。
しかも、しかもその2分間押し続けたおかげで出現した約400個のタスクマネージャが全て応答不能で終了でない。本末転倒である。
それでも、頑張って「タスクの終了」を上から順に指示していると、突如として「ウインドウズがエラーを検出しました。マイクロソフトに報告しますか?」というポップアップが出現した。
400個くらい。
やめてくれ。
嫌がらせはやめてくれ。
しかもその画面左上から右下にかけてずらーーーーーっと十二単のように並んだポップアップの裏では、相変わらず名称未定.exeが増殖しながら点滅している。
半時間ほど格闘してみたのだけれど、にっちもさっちもいかないので電源落として再起動。自分用にはスキンとか音とか無しでバグだらけだけれどちゃんと動いている0.2系列があるからもういいや。いやである。
だいたいからして、カウンターが重いから外したのに、他のカウンターを探している間にだんだん疲れてきて、もう重かろうが軽かろうがどうでもいいや、とカウンターを付け直している時点で敗北である。完敗である。
とりあえず、起動アプリと行動を記録するアプリケーションというものに需要が無さそうだというのはなんとなく理解したので、もっと需要のありそうなものを製作して落ち着かせる事にした。
キーボードをタイピングした際に、どの指でタイピングしたのかを記録し、正しい指使い習得を目指す手助けとなるアプリケーション。
を製作するのである。
例えば「G/き」キーを右手人差し指で叩いたら、
「左手人差し指で叩きなさい!」
とか、「Q/た」キーを左手中指で叩いたら、
「惜しい!左手薬指で!」
とか、そういう感じである。
いやあ、これはどう考えても物凄い需要があるだろう。殺到するだろう。絶対に。キーボードの3/4くらいのキーを右手の一刺し指で叩いている僕が言うのだから間違いない。
ちょっと、キーボードをタイピングした際に、どの指でタイピングしたのかを記録し、正しい指使い習得を目指す手助けとなるアプリケーションを作るので、完成までブログの更新は一時的に休止します。
多分2時間もれあば完成すると思うので休止ってほどでもないけれど、ちょっとひとまずお休み。
2005年2月12日土曜日
ひkっこめました。
エラー出たので。
使い方。
・開始ボタン~終了ボタンまでのグラフ?を出す。
・予定時間を設定しておくと予定時間経過時に音が鳴る。
・グラフをクリックしてそれぞれにメモをつけられる。
・開始~終了までに使用していたアプリを調べて報告。
・日付をクリックすると、その日使用したアプリを調べて報告。
個人的な使い方。
・アウトラインが出るテキストエディタで記録.txtを開いてメモを読む。
予想される不具合。
・NT系じゃないウインドウズ(98と95とme)だとアプリケーション統計が出ないらしい。XPと2000は大丈夫。
既知の不具合
・名称未定
・アイコン無し
・スキンがみっともない
既知の仕様
・メモの行頭に「[」を持ってくると、メモがずれる。
テキストエディタからいじる事を想定しているので直せません。
メモの行頭に「[」は使わないで下さい。
・WindowsXPの表示スタイルに対応していない。
・最小化でタスクトレイに入れる時にちらつく。エウー
既知のQ
>時間内に使用したアプリ一覧から、TM自体を除いてほすぃです。
しばらく使っていると、ずら~っと色とりどりの線が並んでいるのを眺めながら、クリックしてその時間に使っていたアプリを調べたり、「いやー、1時間40分でLv27到達して即死か~」などと自分の足跡を見るのが楽しくなってくるのと、アプリ一覧は使用時間に応じて並び替えているのでデフォルトでは除くつもりはありません。
オプションで一定時間以下を非表示&TM非表示は気が向いたらやります。
2005年2月10日木曜日
10秒
それが事実であるからといって、それそのままにキーボードを叩いてよいという事ではない。例えば、女の声を聞いたのであれば、「昨日、夜もふけた頃、女の人の声が聞こえてきた。」などという書き方が推奨されるのである。
ここでそのような段取りを踏まずに事実をそのままそれとして、
「女の声が聞こえる。」
と不躾にやってしまっては具合が悪い。
ブログというものはその人と也がそのままに現れるものである。
例えば僕がこのブログ上に置いて、物凄く書道が好きで、書道部にて書道ライフを謳歌しているのだけれど、足が速すぎて陸上部の顧問からストーキング勧誘を受け続けており、陸上部の顧問は陸上部の顧問でよく出来た人物であるからして、断り続けるのに少し疲れ、「陸上書道部」なんてのも悪くは無いか、などと二刀流への転進を前向きに検討している、ゲームは小学校4年生くらいで卒業した電子レンジで2分チンした生卵を食べても吐かないような短髪の好青年を演じているわけであるのだが、http://sinseihikikomori.bblog.jp/を開いた時にまず目に入るのが「真性引き篭もり」であるからして、そのような目論見が成功しているかどうかは疑わしい。
だからといって、ブログのタイトルを今日、今この瞬間から「物凄く書道が好きで、書道部にて書道ライフを謳歌しているのだけれど、足が速すぎて陸上部の顧問からストーキング勧誘を受け続けており、陸上部の顧問は陸上部の顧問でよく出来た人物であるからして、断り続けるのに少し疲れ、「陸上書道部」なんてのも悪くは無いか、などと二刀流への転進を前向きに検討している、ゲームは小学校4年生くらいで卒業した電子レンジで2分チンした生卵を食べても吐かないような短髪の好青年」というものに変えればよいというものではない。
ブログはそのタイトルだけでなく、その成り行きに人と様が現れてしまうわけであり、突如として自分を美しく見せようという魂胆でブログのタイトルを変更したとなれば、それはもう、そのような人物であると笑われて終わりなのである。
事実として僕は非常に足の早い好青年であり、食欲が無いからと卵を器に割り入れて電子レンジでチンしたら、トイレに行っている間に茶碗が割れていて電子レンジの中がじゅばばばばーんとなっており、茫然自失と少し泣きながら必死で飛び散った卵を指で摘み取って口に入れ、何を考えたのかトイレへと走って戻り、トイレットペーパー基地を4回くらいカラン、コロン、と鳴らして両手に巻きつけ、それに水道を少しばかり垂らして電子レンジの内部を清掃し、急いで部屋へ駆け入って一息ついていると少しずつ壊れ始め、やがてそれは猛烈な吐き気へとなったのであるけれど、僕は真性引き篭もりであるからして部屋から出られぬ事情にあり、その後の事は思い出したくないなどと泣き言を書き連ねるような人間ではないのだが、非常に足の早い好青年であるという事実を持ち出すよりも、事実無根のでっちあげを行った方がブログを書くには容易いので、事実無根のでっちあげを行っているのである。
僕が連日連夜、ブログをわずか10分足らずで書き上げ、投稿し続けられるのも、適当なでっちあげをもってそれを適当な気持ちで文章にしているからである。例えるならば6Bの鉛筆を「尖り過ぎてると書きづらいからさ~」などと言ってノートの白いページにグルグルとこすりつけ、そのページをまっくろにしているようなもので、推敲も翻案もなにもない。
これがもし、非常に足の速い短髪の好青年であるというありのままをブログにする、という方針でやっていれば、このようには行かない。
非常に足の速い短髪な好青年の日常というのは非常に退屈なもので、踊り場にて1年前の級友と出会い、駆け下りていた階段をゆっくりと登るくらいが関の山であり、そのような平凡な日常をブログにするというのは果てしなく難しい。
もしも、僕が素のままで素朴にブログをやっておったならば、おそらくは3日に一度とか、4日に一度とかそのようなおざなりな更新しか出来ず、アクセス数なども只管に落ちて行き、アクセスカウンタをつけるとかブロックの再設定を行うなどといった他愛も無い事ですら行わぬくらいに適当な運営になってしまうであろう。
いや、確かに僕の日常には駆け下りていた階段をそろりそろりと忍び足で音を立てないように慎重に登り帰る以外のイベント、例えばよろしくやったとか、よろしくやっていたのがばれたとか、よろしくやりたいといったものも存在するのである。
しかしながらそのような下世話で論壇系ブログに相応しくない文章を投稿するわけにはいかないので行わない。
では、なにを行うかというと、開設されたその日その瞬間ともいっていい時間帯からよろしくやりたいと思っている読者を放置して、コメント欄で「ぅゎ~ちかくにゅる♪今度にょみにでもいきまっしょい!!」とかやりあっているのとかも非常に腹立たしいのに、サッカーのサの字も出てきていなかったブログにサッカーを生観戦してきます(^^)とか書かれているのを読んで、僕の方が遥かにサッカーが好きであるのにワールドカップすらまともに、というかほぼまったく見ていないという事実に泣きながら苛立ってよろしくやりたい、よろしくやりたいと思い、よろしくやりたい、よろしくやりたいとずっと思ってきたのであるという事実はさておき、「先輩と」ってのはなんだ「先輩と」ってのは。
先輩ってなんだ。
先輩って。
先輩ってなんだ。
先輩って。
女だ。
女。
と、ブックマークを削除してから女の声が聞こえたという事実をブログに書くのである。ブックマークは削除したので、あとは女の声が聞こえたという事実をブログに書くのみである。
つまり、ここで重要なのは女の声が聞こるという事であり、それ以外の些細な出来事と些細な文章は、もう、どうでもよいのである。どうだって。
しかしながら、女の声が聞こえたからといって「女の声が聞こえる」はよくない。
ブログの書き出し一行目で、「女の声が聞こえる」とやってしまっては、スクウエアのロールプレイングゲームの一幕のように安っぽい。
女の声が聞こえる。
いや、ブログのタイトルでも一行目でも何でもない。
リアルタイムに聞こえたという事実を書いただけである。
女の声が聞こえる。
それはかなり昔から聞こえてくる。
いつ頃からかは思い出せないのだけれど、引き篭もりになる前からだったような気もするし、引き篭もりになってからだったような気もする。
女の声、というものは嫌いではない。
より正確に言うと、物凄く好きである。
基本的に女の声というものは物凄く好きであるのだけれど、声というものは言葉を伴う。声はその伴った音と響きにより、薬にもなるが毒にもなる。僕の中に今も残っている女の声というものは、左耳の後ろの頭皮を掻き毟るようなものばかりであり、女の声が好きだなんて、とてもじゃないが書けない。
そのような事実を差し引いても、女の声が聞こえる。
非常に不愉快である。
一心不乱にブログ、それも非常に素晴らしくく読んだ誰もが名文だと唸るような文章を書いている最中、のりにのっている絶好調の真っ只中に女の声が聞こえるのである。
なにも、よりによってこのタイミングで聞こえてこなくても良いのに、と苛立ちを伴う悲しさの中で女を黙らせて、続きを書く。
それはいつも、よりによって、どうして、今。という時に聞こえてくるのである。例えばダンジョンクロウルにて竜王の鎧を4Fで拾ったタイミングで女の声が聞こえてくるのである。
鎧の重さで攻撃という攻撃が失敗して10度に9度はミスが出る時。
飢えとミスにのた打ち回りながらレベルを上げている時。
宝物個の最下層でLv27まで上げ「よーし、進めるぞ!」と思った時。
進め始めた瞬間にに体力満タンから麻痺即死コンボをくらって死ぬ時。
そのような、よりによっての時間が来ると、必ずもって聞こえてくるのである。
「十秒」と。
10秒。
それは短い。
いや、僕にとっては時間ですらない。
「10秒について何か書いてくれ」
と頼まれたとしても、僕は一行も書けない。
世の中には、「10秒あれば眠れる」と豪語し、事実眠る人間がいる。
「10秒で飲み干す」と豪語し、事実飲み干す人もいる。
「10秒でよろしく」と蔑み、5秒でよろしい人もいる。
しかしながら僕は真性引き篭もりであるからして、10秒ではなにも出来ない。
つまり僕にとっての10秒とは、時間ではない。
実在しない、なにかなのだ。
女は、その実在しない何かを僕に投げかける。
「10秒」と。
だから不愉快なのだ。
だから、不愉快なのか?
定かではない。定かではないが、不愉快なのだ。
キーボードから手を離し、右の眉毛を二本抜いた所で、また聞こえる。
「10秒」と。
僕はそのような舞台に上がったつもりはない。
ただ、ただDOTA allstarsという事象を文章として捉えなおしたかっただけなのである。僕というDOTA allstars、DOTAallstarasという自分を。
なのに、女の声が聞こえる。「10秒」
しかしながらそのような物言いは不適切であろう。
そもそも、真性引き篭もりというブログを開設し、DOTA allstarsから逃げ惑ったのは、語尾を強める女に追われての結果であったのだから「10秒」
女の声が聞こえる旅に、僕は女に問いかけた。
「これでいいだろ」と。
シンガポール人を虐殺して「これでいいだろ」。
もう満足かい?
女は何も言わない。
押し黙ってじっと見る。
黙りこくった女を見て満足し、胸骨を一本吐き出した所でまた「10秒」
DOTA allstaarsのプレイレポートを立ち止まらずに一気に書ききり「これでいいだろ」、もう満足かい?
女は、また押し黙る。
押し黙った女を見て僕は癒され、女を黙らせる事に成功した自分を褒めて酔いしれていると、また「10秒」
また、「10秒」
また「10秒」
ブログを書いてそれを黙らせ、投稿ボタンを押してまた「10秒」
歯を磨いて「10秒」
少し踊って「10秒」
ゴミ箱を空にして「10秒」
待ってくれ「10秒」
ちょっと待ってくれ「10秒」
待ってくれ「10秒」
お願いだから待ってくれ「10秒」
10秒じゃ何も出来ない。「10秒」
10秒じゃ何も出来ないんだ。「10秒」
許してくれ、僕が悪かった。「10秒」
全部僕の責任だ。「10秒」
もう、おざなりな事はしないからちょっと待ってくれ。「10秒」
朝も夜もちゃんと食べるし「10秒」マウスボールの汚れとかも拭き取るし「10秒」タイピング音がたたないようにとキーボードの上に敷いてある茶色とねずみ色の木綿のシャツもちゃんと洗うから「10秒」
「10秒」ゆっくり考えて「10秒」ゆっくり準備して「10秒」ゆっくり書けばちゃんとやれるんだ「10秒」
5分とか、10分とか、30分とかあればなんだって。「10秒」
5年、10年、15年とゆっくりやれば出来るんだ。「10秒」
けど、10秒じゃ何も出来ない。「10秒」
だから、ちょっと待ってくれ。「10秒」
10秒で、って言われたら、悪いこと悪いこと重ねるばかりだ。「10秒」
にっちもさっちもいかないのは、あんたがせかせるからだ。「10秒」
ちゃんとやれるのに。「10秒」
ゆっくりやればちゃんとやれるのに。「10秒」
なんだってきちんとやっていけるのに。「10秒」
予定を立てて「10秒」手はずを整えて「10秒」石橋を叩いて「10秒」予定を立てて。「10秒」それなのに。「10秒」
あんたがせかすからだ。「10秒」
ちょっと、待ってくれ。「10秒」
待て「10秒」
待て「10秒」
待て!「10秒」
黙れ「10秒」
黙れ「10秒」
黙れ!「10秒」
黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!!二度と僕に近づくな。世界から消えろ。死ね。一生僕に近づくな。「10秒」黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ「10秒」う座右座右座右ざいざいざうざいざういざいうざい「10秒」ああーーあああーあーああーあーああーーーーーああーあーあーああーあー聞こえない聞こえない。
「10秒」
「9」
「8」
「7」
「6」
「5」
「4」
「3」
「2」
「1」
物凄くあせった。
昨晩、物凄く繋がらなかった。
上書き、下書き、上修正、下修正、とやるつもりでブログを書き始め、上を書き終えて下、つまりはここを書いて投稿したら投稿した文章が全部飛んで結構落ち込んだ。
文章が飛んでしまったという事もそうなのだけれど、上の文章の誤字を直したかったり、不適切な表現を削除したかったりといった欲望を遂げられないという事に落ち込んだ。
なにか悪い事をしてしまったのではないかとか、僕のブログが削除されたのではないかとか、IPをはじかれてるのでは無いかとか、いろいろとよからぬ事態を想像し、「ブロックブログ+繋がらない」で検索したら真性引き篭もりが一番上に表示されて悲しい気分になったりするなかで、真剣に移転を考えて他のブログサービスを見て回っていると、「政治家の圧力に屈して番組内容を編集しなおす坊国営放送のようなフジテレビ」といった感じの記述を見つけてlololol
2005年2月6日日曜日
竜王の鎧
自棄になって自棄にならないでおこうと思って自棄になって、自棄にならずに自棄になって、自棄になるわけにはいけないとにやついて自棄になり、自棄にならずに自棄になってしまい、絶対にここは踏ん張って自棄にならずにやろうとして自棄になり、結果自棄にらないでおこうと思って自棄になったという事実に自棄にならずに自棄になり、自棄になっちゃ駄目だと自棄になった。
というのがこの投稿の要約であり、要約というものはそれさえ読めばあらかたが解ってしまうという非常に優れた一文であり、そのような万能かつ高性能な文章を頭に持ってきてしまったという事は、それを読んだ読者の方々が「なるほど、そういう事か。」とうなずき返し、「じゃ、あとは読まなくてもいいか」と思って立ち去ってしまう可能性が非常に高い。
そのようなリスクを犯してでも要約をはじめに書いたという事は、要約を書きたくなるくらいに伝えたい内容があったわけでも、要約に続く本文を読まれたくないわけでもなく、要約に書かれた一文、自棄になり自棄にならずという文章に従ったのみである。
それに続けて要約のとおりの文章を書いていたのであるけれど、要約に従い自棄になったので、その文章を全てDeleteキーで葬り、この投稿自体も無かった事にしようかと思ったのだけれど、それは物凄く悲しいので、もう一度今削除した文章をよりよい形で書き直そうと書き始めてみた所で、朝日に襲われて自棄になり投稿
2005年2月3日木曜日
しょうらいのゆめ
ぼくは、大きくなったら市長さんになりたいです。
どこでもいいから適当な所の市長さんになりたいです。
出来れば、徳島とか福島とか三重とか宮崎とか、そういう変な県の変な市の市長さんになりたいです。
市長さんになったら、市の名前を藤沢市に変更したいです。
そして、市の名前を藤沢市にしてから、適当な汚職で私服を肥やして、追求されるかされないかの瀬戸際の際どい所をすり抜けて、ドイツにサッカー留学に行くとかそういう適当な理由をつけてうまいこと辞職したいです。
それから、帰国して、ドイツ仕込みの対トルコ移民政策!とかなんかそういうふれこみで選挙民を騙くらかして、徳島とか福島とか三重とか宮崎とか、そういう変な県の変な市の市長さんになりたいです。
それで、市長さんになっただ、ドイツ仕込みの教育改革!とかなんとかそういう名目で、大学を作りたいです。
ものっすごい山奥の、ものっすごい田んぼと雑木林とかあるところのど真ん中のものっすごい田舎に、大学を作りたいです。
大学の名前は駅弁大学にして、日本中の駅弁大学という駅弁大学をあたふたさせたいです。
それで、ついでだから、ドイツ仕込みの医療改革とか銘打って、付属医大かなんかも作って、その大学の名前は日東駒専大学とか、関関同立大学とか、MARCH大学とか、そういう適当な名前にして、日本中の日当高麗船という日当高麗船、かんかん同率というかんかん同率、マーチというマーチをてんてこまいさせたいです。
大学を作り終えたら、市の名前を偽藤沢市にします。
それから、適当な汚職で私服を肥やしてから、なんか宗教関係者からの政治献金を秘密裏に受け取ったとかなんとかで、そういう疑惑が発覚して、もうちょっとでやばいかも!とかなった時に、親族の介護を理由にして物凄い清潔感のある辞職会見で後継者の推薦(この人からいっぱい裏金もらう)して、市長さんを辞めたいです。
それで、しばらくほとぼりが冷めるのを待ってから、ものすごい時代錯誤の福祉政策を公約にして選挙民をうまいことだまくらかしながら、陰ではパチンコ業界とかカルトとか気合で癌を治す人達のリーダーとかそういういろんな所からの支援とかを受けて、藤沢市の市長さんになりたいです。
ここでいう藤沢市とは、徳島とか福島とか三重とか宮崎とか、そういう適当な県の適当な市の名前を変更してでっちあげた藤沢市でも、徳島とか福島とか三重とか宮崎とか、そういう適当な県の適当な市の名前を変更してでっちあげた偽藤沢市でもなく、神奈川にある藤沢市の市長さんになりたいです。
それで、めでたく藤沢市の市長さんになったら、物凄い市税とかかけたり、80億円くらいかけてカントク跡地にテニスの王子様のテーマパークをテプニーランドとかそういう感じの名前で作ったり、サッカークラブを40個くらい作って片っ端からJFLに参入させて湘南ベルマーレをてんやわんやにしたりしてやりたい放題やって、やがては支持率2%とかそういうのになって、けれどもメディアを操作して40%くらいある事にしたりとかしてたら、市民からの反発とかがものっすごくなって、ものっすごいデモとか起こったり、テプニーランドはテニプーランドの間違いじゃないのか!とかそういう追求されたりとか、なんか関連会社の天下りとかいろんな悪い事をしてきたのが全部バレそうになったりとかした頃に、これまで溜め込んだ裏金で議員さんとかを買収しまくって、市の名前をトレヴァーシンクレア市とか、トレヴァーベンジャミン市とか、西インド洋市とか、ジョン万次郎市とか、後期ガンブレア期市とか、忍者市とか、手裏剣市とか、そういう滅茶苦茶な名前にして、藤沢市を藤沢市でも偽藤沢市でもないなにか別のものにしてしまいたいです。
それによって、にせ藤沢人さんのよりどころを奪うと同時にアイデンテイテイを完全に崩壊させてなにがなんだかわからんくするのが、ぼくの将来の夢です。
2つほど。
いやー、寒いね。ほんま寒い。寒いわー。2月でこんだけ寒いんやったら8月とかになったらそれはもうどえらいことになりそうやね。
面白くはない。それくらいは馬鹿でもわかる。
馬鹿ではない。寒い8月は来ないだろうというのもわかる。
しかし、先日はそれすらもわからなくなる位に寒かった。
週末を前にして灯油を入れ損ねていた事が気になってはいたのだけれど、そろそろ暖かくなる頃であろうと脳みそ夏休みな予測を立ててドクターが倒せず悩んでいたら、部屋中をつんざくような寒さが来て、寒波で窓がドカドカ鳴りだした。
「いやあ、これは春一番だ!」
と自分に強く言い聞かせ、あと5分もすればこのさむかぜが春を運んできて、10分後には暖かくなるのだと信じてダンゴ虫の真似事をしてからゆっくり10を数えてみたのだけれど、まったく暖かくならない。ここが煮えたぎった湯船の中であれば気を失いそうなくらいに熱くなるのだが、吹きすさぶ椅子の上であるからして寒くなるばかりである。
おかしい、これはおかしいと悩んでいると風がドンドンと窓を叩く。
おそろしい、これはおそろしい。
僕は真性引き篭もりであるからして、このガクガク震えている窓が寒風の前に敗れ去ろうものならば、全てがおしまいであり、それだけはごめんこうむる、ごめんこうむる、勘弁してください、勘弁してくださいと物凄く祈った。祈りに祈った。しかし、祈りをまったく信じない人間が祈るというのは物凄く逆効果であったようで、余計にか細くなりて、消え入る寸前である。
いやあ、いやあ!と祈り続けていたら、真夜中が来た。
チャンスだ。
これは物凄いチャンスだ。
何がチャンスであるかというと、食べ物を食べるチャンスだ。
真性引き篭もりは真性引き篭もりであるからして、食べ物を部屋に持ち込んでいない限り、真夜中の忍び足だけが週末の食事タイムだ。このチャンスを逃してしまうと白夜のラマダンだ。
ちょうど物凄くお腹がすいていたので、この時を逃してはなるものかと気合を入れる事を4度ほど繰り返して動こうとしてみたのだけれど、寒すぎて体が動かない。飼い犬は飼い主に似るというが、僕は愛用のウイーンウイーン、ピーブー、ウイーン、キュルルルルー……系のパソコンに似てしまったようで、スイッチを入れてもうんともすんともいわない。
だいたい、そうなった時は「あー、今もしパソコンが動いていたらものっすごいブログ書けたのに」とかドクター倒せたのにとか色々な言い訳をついて、いかに己が不幸であるか、いかに己の人生が不運なものであるかを嘆き、努力だとか根性だとかといったものは二駅先の彼方へ置き去りにして嘆き続けるのであるが、パソコンは物凄く快調に動いている。
空腹が行き着くところまで行けば動けるのではなかろうかと思い立ち、おなかがすいた、おなかがすいた、おなかがすいた、と唱えてみる。唱えてみると、満腹になってきて非常に合点が行かない。
納得いかなくても空腹が去ってしまったというのは紛れも無い事実であり、動きだす為の動機と気力を完全に失った僕はそのままじっと窓に打ち付く風の音を震えながら聞いていたのだけれど、そこでふと思い出した。
灯油だ。
灯油さえあれば窓枠に怯えずに済むのだと。
そこで灯油をなんとかして手に入れようかと悩んでみたのだけれど、手立てが思い浮かばない。真性引き篭もりは真性引き篭もりであるからして、真夜中に灯油を入れるなどという事は出来ないわけである。もし真夜中に灯油を入れようと企てたならば、まず灯油タンクの扉がガシャンと鳴る。だいたいからしてそれだけで耐えられないわけで、灯油を入れる以前の問題である。たとえ灯油缶までたどり着いたとしても、そこでおしまいである。ウィーンと振動して鳴り響く電動式の灯油ちゅるちゅるのスイッチを押す勇気などあろうはずもなく、徒労に終わるのは目に見えている。
思い悩んだ。思い悩み、思い悩んだ末に「灯油を口に含んで部屋まで持ち帰るのはどうだろう」とかそういう名案を思い浮かぶに至り、これはもう駄目だ、とうずくまる。
うずくまっていると夜が明けた。
同時に、お腹がすいた。
物凄くお腹がすいたのだけれど、夜が明けた。
正確には夜は明けていないのだけれど、もし7月であれば夜が明ける時間である。そのような時間帯に突入してしまったというだけで身も心も凍りついてしまい、動けない。
ああ、駄目だ。駄目だ。と丸くなっていたら、もう一度真夜中が来たのだけれど、また同じように動けない。ああ、駄目だ。
ここでもしDOTA allsatarsがあれば窓を叩く寒風に怯える事なく立ち向かえるのではなかろうか、などと真剣に考えて真剣にDOTA allstarsを買い戻す事を考えている時点で物凄く駄目だ。しかし、あれさえ手に入れればなんとかなりそうな気がする。気がするのだが、なんともならぬ事はわかっているわけで、尚且つ手に入れる事も出来ない。
そんなふうにうずくまっていると、2つほど何かが消えた。
何が消えたのかはわからないけれど、手にしていたものが2つほど消えた。
まただ、まただよ。
もう、いやになる。
なにかが消えてしまったのだけれど、何が消えてしまったのかはわからない。
なにだ、一体何が消えたんだと動揺し、焦り慌てて手にしているものを一つずつ数え上げる事によって何が消えてしまったのかを確かめようとしたのだけれど、親指が折れない。
いや、正確には親指は折れるのだけれど、それは違うとまた伸ばす。
「灯油」、いや、灯油は無いよ。
「食べ物」、それも手にして無い。
「DOTA allstars」、もっと無い。そのフレーズを出さないでくれ。
「えっと、えっと、おかしい。これはおかしい。確かに何かが2つほど消えてしまい、それは僕を追い立て焦らせたのだけれど、よくよく思い返してみると消えてしまうようなものは何も持っていなかったような気がする。けれども、昨晩何かが消えたんだ。
2つほど。
なんだったんだろう、一体。
糸口すらつかめない。
わからない。
ああ、わかった。
わかった。
1つはブログの読者だ。読者だ。
半週間も更新せずに置いていると、きっともう誰も見ていない。
アクセスカウンタも全然回っていないし。
あと1つは、あと1つは雪だ。降雪だ。
閉じ切った部屋の中からは見ることすらも出来ず、その存在すらも見届けぬままに消えてしまった降雪だ。積もったかどうかも定かではない。降ったかどうかすらも。
なんだ、そんなものか。心配をして損をした。
消えてしまったのは僕にとっては重要でないものであり、消えてしまっても気がつかないし、気がつかなくても構わないようなものであるという事がわかり、肩が溶けて首まわりが楽になった。くだらないブログも書けそうだし、くだらないゲームとかも出来そうだ。
と思った矢先、また何かが消えた。
2つほど。
待ってくれ。
消えないでくれ。
僕が見つけるまで待ってくれ。
今すぐ見つけるから消えないでくれ。
それが駄目なら、せめて僕の目の前で消えてくれ。
お願いだから、2つほど。
見つける前に見る前に、音も立てずにまた消えた。
2つほど。
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