2005年1月28日金曜日

ブックマークが消える時



「ブックマークが消える時」という表題でMMOをやらない理由について書くべきか、「MMOをやらない理由」という表題でブックマークが消える時について書くべきかと散々迷った挙句に、「ブックマークが消える時」という表題でブックマークが消える時について書くことに決めたのは、今日までMMOを一秒たりともやらなかったという事実よりも、昨日ブックマークを1つ削除したという出来事の方が今日の僕にとって重く大きいからに他ならない。

つまり、僕は今からブックマークが消える時という表題でブックマークが消える時という事柄を書くわけで、それ即ち、この段落の次に来るのはMMOの話だという事になる。



MMOというゲームのジャンルがある。
1つの世界に500人やら1000人やらが同時にアクセスするゲームである。
ウルティマオンライン、エバークエスト、FF11、リネージュ、ラグナロクオンラインなどいったタイトルが発売されており、大きな市場を成している。

僕がMMOをやろうと考えたのは、1度や2度の事ではない。
今だってやってやろうという思いがあるのは確かであるし、あの時やっておれば良かったと思うポイントが何箇所も存在するのも事実だ。
しかし、僕は今日の今日までMMOというゲームを遊んだ事が無い。MMOの案内サイトを隅から隅まで読んだり、攻略サイトのデータに片っ端から目を通したり、スクリーンショットを大画面で眺めたり、デモムービーを見たり、パッケージソフトを購入したり、という所で止めてしまった。


どうしてか。
それは、単純な話だ。
同じ世界に他人がいるという事が耐えられなかったからだ。
僕にとってのゲームというのは、世界と離れる唯一の手段であり、一人になる為のツールであった。長くそれは変わらなかったし、これからも変わる事はないだろう。

それに対してMMOというのは、人ってやつがわんさかいて、世界と離れる事も出来なければ、一人になる事も出来ない。僕にとってそれはゲームとは呼べない代物である。ゲームの皮を被った、何か別の道具なのだ。



それに、MMOの周辺ではこういう話が常にあった。

「MMOの対人関係なんて、現実のそれと比べれば遥かにくだらないもの」
・・・だから、MMOなんてやるべきじゃない。
・・・だから、MMOなんて今すぐに止めるべきだ。

僕がMMOをプレイするべきかしまいべきかと何度も迷ったのは、ゲームではないMMOという道具に何か別の希望を見出し、もしかして、それならば、と思ったからだ。
けれども、上のような話を耳にするにいたり、それも消えた。
現実のそれよりもくだらないものなんて想像すら出来なかったから。
結局のところ、僕は一人になりたいんだ。

誰とも言葉を交わしたくなんか無いし、誰の言葉も聞きたくない。永遠の静寂に包まれたいんだ。誰にも顔を見られたくないし、誰の顔も見たくない。世界中の鏡という鏡を割って回りたいし、銅鏡という銅鏡をどうのつるぎに作り変えたい。酸素を吸って二酸化炭素を吐くのも嫌だ。アルミ箔を吸って胡麻豆腐を吐きたい。MMOなんてごめんだ。


失敗だったね。
完全に失敗だった。
一人になる手段として真性引き篭もりってやつを選んだのは、完全に失敗だった。夜から夜まで何かが圧し掛かり、Enterキーすら押せやしない。食事は喉を通らないし、うんこは肛門を通らない。しくじった、これは。もっと他の何かになるべきだった。ウルトラマンとか、デビルマンとか、デイビットシーマンとか。

失敗だったのはそれだけじゃない。
ブログってやつは、もっと失敗だった。
僕はただDOTA allstarsの文章が読みたかっただけなのに、もうDOTA allstarsの文章なんて書けやしないし、読めやしない。僕に求められるのはpushでもhelpでもrushでもbackでもroshanでもhealでもtimestopでもない。エントリーってやつだ。
読みたくないってわけではないし、書きたくないってわけでもないのだけれど、僕が求めていたのはDOTA allstarsとの接点であり、世界との距離だ。世界との接点じゃないし、DOTA allstarsとの決定的な距離でもない。なのに。

そして、MMOをやらない理由という題材から距離を置き、ブックマークが消える時について書くつもりだったこの序文で出来たのは、ブックマークが消える時という話しとの距離であり、MMOをやらない理由についてのくだらない文章だ。

うまくいかない、なにもかも。机にコンと打ち付けてから赤道に両手の親指を差し入れ、真っ二つにしてしまいたい気分だ。卵黄は捨ててしまい、卵白は卵白で灰汁取りに用いてから捨ててしまいたい気分だ。うまくいかない、なにひとつ。



1つ、ブックマークを削除した。
いきなりじゃないか、って言われたら反論のしようが無いわけで、そのような抗議は受け付けません。



一つ、ブックマークを削除した。
所謂、お気に入りというやつだ。

僕は出来る限りブックマークを減らそうと努力してきた。
他人の書いた文章なんて読みたくないし、目にしたくもないからだ。他人なんてろくなものではない事は経験から十二分に知っている。実にくだらない。無駄、ってのならまだいいけれど、それよりも悪い。ブログなんてくそっくらえだ。けれども、今も7つのウェブサイトがブックマークにある。このくらいが適切な距離なんだろうと思う、おそらくは。

僕がそのウェブサイトに出会ったのは、発売されたばかりのゲームソフトの評判を確かめようと、検索エンジンでヒットしたサイトをあらいざらいに読んでた時である。
目当てのゲームに関する文章は2行足らずであったのだが、僕はそれをブックマークに入れ、その日から彼のウェブサイトに通うようになった。

何を読みたかったのかはわからないが、とにかく通うようになった。
彼の過去ログにある日常の狭間から読めるものは、全て現実であり、誠実であった。僕がブックマークに入れた頃も、そうであった。しかし、少しずつ彼の文章は変わって行った。
少しずつ現実でなくなり、少しずつ誠実でなくなった。
日常であるという事は確かであろうし、文体も同じであり、彼が書いているのだという事は理解出来るのだけれど、狭間から見えるものは、まったく違ったものに変わってゆき、僕はその変化に失望した。興味を失った、ってだけかもしれないけれど。
そして、ブックマークを削除した。
もう二度と彼の文章を読むことは無いだろう。

1クリックで途絶える関係。
ブロガーとブログ読マーの間の関係はそういうものだ。
ちょうど、MMOにおける人間関係と同じくらいに薄くて軽い。
彼は僕が月に100アクセスもしていたという事は知らないし、僕が訪れなくなったという事にも気がつかない。彼のブログは好調であり、アクセス数も日々伸びており、ブロガー的には勝ち組であろう。読み手である僕の世界から彼は消えてしまったのだけれど、ブロガーである彼の世界には僕はいなかったのだ。こんにちはが無かったようにさよならも無く、僕という生き物も存在しなかったのだ。

MMOをいけないって言うなら、ブログだっていけないよ。人間なんていけないよ。もっと何かがあるはずだろって言うなら、なんにも無いよと答えてやるよ。そんなの、絵空事。


読み手マーである僕とブロガーである彼との元々無かった関係が途絶えた事によって、僕のブックマークは少し見やすくなり、整理され、綺麗になり、片付いた。小気味良い。それは丁度、今この瞬間も存在しない僕が消え行きつつあるのと同じように、良い事なんだろう。どんどん軽くなって、もうすぐ天井を突き抜けるのだ。



インターネットの向こう側には何か別の生き物がいて、それはとてもいいものだと思っていたのだけれど、結局いたのは人間であり、それは僕を


2005年1月27日木曜日

桃色キャベツを探す旅



書ける事柄が無いからといって、適当な表題を用意しては泥沼に陥るという実例を示すためだけのブログ投稿を行うというわけではない。今僕はむしょうに、むしょうに桃色キャベツを見つけたいのだ。あるいは、桃色キャベツを探したいのだ。

心労である。
ショックである。
マグネシウム不足である。

ここ数ヶ月間、よろしくやりたい、よろしくやりたい、出来ることならいますぐにでもよろしくやりたい、と思いながら必死になって過去ログ全てを読み、今か今かと更新されるのを待ち望み一日に40回くらい訪問していたブログの書き手がクリック募金派だった。

しかも、物凄く熱心だった。
しばらく立ち直れそうに無いので、桃色キャベツをクリックしてきます。


2005年1月26日水曜日

クリック募金を他人に勧める人はおかしい。



無駄な700行くらいを書いてしまって物凄くムカついたので、書かなくていい事まで書いてしまうに至ったわけだけれど、気にせず行くよ。最初は頭が、だったんだけれどなんとなく変えた。



僕はクリック募金を他人に勧める人は頭がおかしいと思っていて、引用部の筆者氏はクリック募金を他人に進めない人は頭がおかしいと思っているわけである。
だからして、読みときようがなく、このような非常に低俗でレベルの低い投稿をするに至ったわけである。



>hankakueisuu氏が高麗氏批判と平行して、
>「カンボジアのために募金したい人はこちらへ」みたいな
>誘導をやってれば、私は何も書いていなかったと思います。
するわけがない。
カンボジアのために募金しようと思う、おかしくないまともな人間は自分でカンボジアの事も調べるし、募金先の事も調べて募金する。

募金に関する考え方の違いとか脳内お気楽度の違いだとかそういう所にあるのかと思って色々書いたり読んだりしてたわけだが、根本から違うのだろう。90万中6万円の高麗資金が善でそれを叩く人は悪、ってまったくもって理解出来ない。1、何故。2、どうして。3、根拠。

ベターな寄付先の紹介ベターな寄付先の紹介ベターな寄付先の紹介って一つ覚えみたいに繰り返しているわけだが、まともな人間は自分で探して自分で寄付する。

募金を人に勧めるというのはおかしい人間のやる事である。
少なくとも、能天気にバナー貼るブロガーとか掲示板でクリックしましょう!とか書いている人はその類だ。募金というのは自発的に行うものであり、人に押されてやるものでもなければ人様に勧めるようなものでもない。さらに書いておくと、クリック募金などというのは募金ですらない。ただの欺瞞付きクリックだ。

それを人に勧めるなどというのは無責任だとか馬鹿だとか以前に、思考停止のレベルにも達していない思考能力が0の行動である。





ついでにもうひとつ。


>募金パーク叩きは妬みだ
もう、それこそまったくもって意味不明。
あなたは頭がおかしいとしか思えない。
お願いだからきちんと書いてくれってって感じだ。
というか真性引き篭もりが激昂するプロセスのようなものを自分自身で観察しながら書いていると何か楽しくなってきたわけだが、というか真性ムカつく。



マルチの親玉兼犯罪者の大嘘つきが善人ぶって嘘八百を並べ立て、善意を利用して金儲けしてたら普通はムカつくだろう。というか引用部の作者氏はそれをもってやっかみとするわけで、彼の言葉を借りればやっかむだろう。
見なかった事にする、という対応が最も正しいのであろうが、真性引き篭もりという短絡直下型ブロガーの行動としては、やっかまない方がおかしいだろう。
善だとか悪だとか三菱だとか、私は信じてます頑張ってくださいだか、思考停止、だか知らないが、完全に思考停止、というか脳みそが存在するのかどうかも怪しい文章を延々と書いておいてよく言えたもんだ。

真性引き篭もりがどういう立場、どういう内容の投稿を行ってきたかもまともに読めてないようであるからして、もう一度説明しておくと(高麗和男)消えろ。その一点だ。はっきりと、真性引き篭もりは(高麗和男)消えろです、と度々重ねて書いてきたわけだ。その程度の事も読めないんですか。



それでもって、貴方様の思考の上では、(高麗和男)消えろはイコールやっかみという事になるわけだ。

そのどこが悪いのか0から説明していただきたい。
はっきりいってあらゆる意味で理解出来ない。
もし理解出来るコメントがくるとして、その文章を僕が今想像して書いてみるとすれば「私が馬鹿でしたハイハイもう来ませんよかったねおめでとうクローズクローズ」くらいしか思い浮かばない。それくらいに、引用部の筆者が何を書いているのか、何を考えているのか、何を言いたいのか、そもそも何であるのかがまったくもって理解出来ない。
現時点では何も書いていないし、何も考えていないし、何も言ってないし、何でもないとしか読み解けないという事であり、ちゃんと何か書いてください。


2005年1月24日月曜日

かたびら鎧



化け物がいた。
いつからかそこに化け物がいて、僕はそれを見てしまった。

今は僕の目に化け物は映らない。
けれども、まだ化け物は僕を見ている。
僕の見えない所から、じっと僕を見ているんだ。
絶対そうだ。まだいるんだ。僕の視界の外ってだけで。

あの時、疲れ果てて倒れこんで目を閉じなければ、恐れおののくことも、怯える事も、震える事も、苦しみもがく事も無かったのだろう。けれども、もう遅い。
僕は化け物を見てしまった。
化け物は僕を見ている。
物凄く恐い。

こんな事を書くと、「また真性引き篭もりがおかしな事を書いているよ」なんて思われてしまうのかもしれない。そうじゃない。そうじゃないんだ。僕は本当に化け物を見たんだ。これだけは信じてくれ。確かに僕は善人じゃない。嘘だっていっぱいついた。自分にだって見抜けないくらいの巧妙な嘘だ。くだらない事もいっぱい書いた。エントリー、いや、カテゴリーごと削除してしまいたくなるくらいにくだらない事だ。悪いこともいっぱいした。人に言えないような悪いことだ。けれども、これは違うんだ。お願いだ。信じてくれ。僕は見たんだ。本当に見たんだ。化け物を見たんだ。


あれは、なんて遡る程昔の事じゃあない。
巨人も大鵬も玉子焼きもハレー彗星もY2Kも過ぎ去った今の今、ついさっき、今しがたの事なんだ。
それが何だったのかはもう覚えていないのだけれど、僕は何かに疲れて倒れこんだんだ。そこまではいつもと同じの平凡な日常だったんだ。満腹の時とか、空腹の時とか、ブログを書いた時とか、ブログが書けない時とか、僕はすぐに倒れこんでしまう。弱いんだ。物凄く。
倒れこむ気力が無い時は、PCの電源もそのままに少し丸くなる。猫背なんかじゃない。少し丸くなるだけで、しゃんとしようと思えばいつだって、ずっとずっとしゃんとしていられるのだけれど、猫背になるんだ。ちょうど、バーチャファイターでガードボタンを押しっぱなしにしたような状態だ。猫背なんかじゃない。ディフェンスだ。

つまり、僕が倒れこむ時というのは、ガードもディフェンスもする必要が無く、倒れこみたいと思った瞬間に倒れこめるくらいに、気力と体力が満ち溢れている時って事なんだ。
そして僕は倒れこもうという思いに満ち溢れて、満ち溢れて倒れこみ、目を閉じたんだ。

そしたら、見たんだ。
化け物を見たんだ。
そしたら、いたんだ。
化け物がいたんだ。

足があって、手があって、帷子鎧を身に着けた化け物が目の前にいたんだ。目の前だぞ!本当に。
物凄く恐かった。
だって、僕は今日まで化け物なんて見た事が無かったんだから。
それに、アトランティスもムー大陸も占星術も細木和子もチュパカブラスもネッシーもUFOもナチスもドイツもエルビスプレスリーも信じない、物凄く健全で健康的な人間なんだ。

わかってる。
そこはちゃんとわかっているんだ。
アトランティスもムー大陸も占星術も細木和子もチュパカブラスもヤッシーもUFOもナチスもドイツもリンドンBジョンソンも全部全部あんなの嘘だ。嘘っぱちのとんとんちきだ。
けれども、それらとこれは別問題だ。化け物はいる。
足があって、手があって、帷子鎧を身に着けた化け物はいるんだ。


それは、僕の中にいた。
いや、ごめん、間違った。
僕の外だ。

それは、僕の外にいたんだ。
だって、そうだろ。
中にいたら見られない。
外にいたから見えたんだ。
いや、やっぱり中かもしれない。
外だ。外だ。だって僕は化け物じゃない。
健康的で希望に満ち溢れた無限の可能性を秘めた健全な青春時代真っ盛りのブロガーだ。若者だ。僕のスーパーヒーローだ。外だ。外にいたんだ。

いや、やっぱり中か?
もういいよ。
化け物は僕の中か外にいたんだ。
どっちだっていいだろ、そんな事は。
重要なのは、僕の目の前に化け物がいたって事実なんだから。




目の前にいたんだ。
それは動いてた。
手が動いていて、足が動いていて、帷子鎧が動いてた。
驚いたよ。
化け物が僕の部屋にいるなんてね。
僕の部屋は僕だけのものだと思っていた。
今日の今日まで、一人で引き篭もってきたつもりだった。
誰とも言葉なんて交わしていないし、誰とも会っちゃいない。
僕はずっと一人でいて、それはとてもいい事だと思っていたんだ。もしくは、悪い事だと思っていたんだ。いい事か悪い事だ。あるいはその両方か、両方でも無いかだ。どっちだっていいだろ、そんな事は。重要なのは、僕の目の前に化け物がいて、それは随分と前から僕の部屋にいたらしいって事なんだ。
一人だと思っていたのに、一人じゃなかったんだ。
驚いたね。これには。


そりゃあ、その瞬間は恐かったよ。
基本的には今でも恐い。
震えてる。
恐い。
なんたって化け物なんだから。
奴は人間じゃあない。
血も涙も無いね。
おそろしい。

けれども、化け物を目の前にすると、化け物もそんなに悪いもんじゃないなって気がしてきたんだ。
なにしろ、奴は手がある。
おまけに足があって、帷子鎧をつけている。
おまけに、僕がどれだけ醜くても僕を醜いと責めないし、僕がどれだけのろまでも僕がのろまだと責めない。割り切った関係といえば割り切った関係だし、適切な距離だといえば適切な距離だ。

僕と化け物の間には随分の開きがあり、けれども僕と化け物の距離は0だった。
それは心地のよいものではなかった。途方も無く恐かったし、正直途方にくれていた。恐ろしかったし痛かった。けれども5分か10分かして、恐怖を伴う驚きが過ぎ去ってからもじっと化け物を見つめていたら、化け物もそう悪くはないなって気がしてきたんだ。
これはいいぞ、って。

だって、足があって、手があって、帷子鎧を着けていて、僕なんかよりずっと立派だ。そりゃあ僕にも足があって、手があって、冴えない衣服を着ているけれど、冴えない足と冴えない手に冴えない衣服ってのは足手足手に帷子鎧と比べれば、随分と貧相だ。
僕は人間だしね。


冷静に化け物を見続けていると、ふと「これだ!」ってひらめいた。
犬の顔をした白い龍とか、緑色の飛ぶ人とかライオンとか、そういうのだと。
足があって、手があって、帷子鎧の化け物ってのは、それらと比べると随分とへんてこで無力で平凡でありきたりだ。けれども、足があって手があって帷子鎧の化け物が目の前にいるってのは凄い事であり、僕は特別な僕で、足がって手があって帷子鎧の化け物は特別な足があって手があって帷子鎧の化け物であるように思えてきたんだ。事実今でもそうだと思ってる。僕が倒れこんだのは、古びた本か出窓か洋だんすだったんだって。

特別な僕と特別な足があって手があって帷子鎧の化け物の接点のある関係というのは、この世界で自分は無力で平凡で何一つ成し遂げる事なんて出来ないんじゃないか、って思っているような頃合の人にとっては物凄く特別なものだろう。
僕はそうではないのだけれど、そうじゃない僕にとっても特別な関係だった。だから化け物がいとおしくなってきたし、もっと化け物に近づきたいと思った。
きっと傷つける事無しに化け物との適切な関係を築けると思ったし、僕が傷つけられるような事もない適切な距離を保った健全な関係ってものを手に入れられると思ったのだ。けど、それは幻だった。


僕がもっとしっかり見ようと目を開けたら、化け物は跡形も無く消え去った。
いや、違う。
僕の前から姿を消した。
さきほどまでは、足があって手があって帷子鎧の化け物が僕の視界の全てだったのに、僕の世界から完全に姿を消え去ってしまったんだ。

物凄く悲しかった。
僕は特別な僕で、化け物は特別な化け物で、僕と化け物の関係は特別な関係。
ひもとくと、僕が特別である根拠は化け物の存在だけだったんだから。
それが姿を消してしまい、僕は激しくうろたえた。

もしかして、鏡があれば化け物を見つけられるのかもしれないとかも思ったりもしたのだけれど、僕は真性引き篭もりであるからしてどうしようもなかったし、もう一度目を閉じたら化け物が再び現れてくれるんじゃないかって思って目を閉じてしばらくじっとしてみたけれど、遂に化け物は現れなかった。もう二度と。
それっきりだ。

物凄く悲しい。
僕はきっと特別な僕で、化け物はきっと特別な化け物だったのに。
もっと広い所で縦横無尽にやれたのに。
もう手遅れなんだ。
おそらくは。

僕が化け物を目にすることはもう無いし、多分化け物はもう僕を見ていない。特別な関係はあの一瞬だけ。いや、そんなものが本当に存在したのかどうかも疑わしい。
1人ってのは少なすぎる。
物凄く寂しいんだ。
朝も夜も春も夏もTVも携帯電話もDOTA allstarsも無い。
糸くずにでもしがみつきたくなるくらいに、ずっと一人っきりなんだ。
けれども、2人ってのは多すぎる。
物凄く煩わしいんだ。
朝も夜も春も夏もTVも携帯電話もDOTA allstarsもまっぴらごめんだ。

だからこそ、僕と化け物ってのは最高の、ちょうどいい塩梅だってピンときたんだ。特別な足と帷子鎧の化け物との間なら特別な関係を築けるだろうし、健全なコミニケーションを取れると思った。特別な世界が待っていると思ったんだ。けれども、そんなの全部なかったんだ。はじめから。
一人っきり、物凄く悲しい。
全部涙で流れてった。


コメント欄へのコメントのような投稿



真性引き篭もりに聞いてみたい。
とか書いてあって物凄く困る。


ここで僕がとれる選択枝としては、
・コメント欄にコメントしないのですと再び書く。
・コメント欄にコメントしないので一切触れない。
・コメント欄にコメントしないけどコメントする。
の3つであり、当然のように3番目を選んでしまうのが真性引き篭もりhan矛kaku盾eisuu。


なんだか、誰が誰だかわからないので物凄く書きにくいのだけれど、今23時49分なので、残り11分で書きあげます、ってそんなの無茶だけど書きます。


募金をピンはねすると、カンボジアに届く募金が減るので、
それは「悪」だ。
募金パークを潰すと、最終的にカンボジアに届く募金がもっと減るので、それは更に「悪」だ。



わけがわかんない。
そのような悪どうこうという事は一切書いていません。
そのような趣旨趣向では書いておりません。
そもそも真性引き篭もりが募金パークに触れたのはあくまでも衝動的なもの、あるいは見てしまったら書いてしまわずにはおれない、という真性引き篭もりというものの時間の持て余しっぷりのようなもので、物凄く忙しそうなのに同じテーマで8連続投稿とかしている[[全然藤沢じゃない。>
http://fujisawa.bblog.jp/category/asahi/]]さんなんかとはまったく種類が違う。
だからといっていい加減な気持ちで適当に書いていたわけでは無いので、その辺りは適当に汲み取ってもらえれば幸いなのだけれど。っていうかもう54分だ。



それで、せっかく真性引き篭もりのコメント欄で悪や募金についていっぱい書いてくれたので、僕も読ませていただいて物凄く嬉しいというか、ありがたかったというか、非常に感謝しているので、よそでやらないでくださいというのもあるし、とりあえずもう56分なんで投稿だけしてしまって今日の分の投稿を埋めた所で再開しようと思うのだけれど寒くて凍えています。




とりあえず前提。
・コメント欄にはコメントしません。
・トラックバックには対応します。
・トラックバック来てなくてもやってくれれば同上。
という所で、書こうと思ったのだけれど、多分あれはカーリー助けてないね。カーリー助けてたら裏面の事書くだろうし。カーリー助けているのと助けていないのとでは、難易度が変わるらしいから絶対あれはぬるい方でやっていい気になってるだけだろうね。まず間違いなく。


あと、OJなんて読んでいない。
というかそもそもその存在自体を知らない。
だいたいからして、僕が読んだ事のあるマンガ本は漫画で知る世界の不思議とかなんかそういうタイトルの奴で、ライオンを食べる草だとかプテラノドンは生きているだとかそういう非常にくだらなくてつまらないやつと紫電改の鷹くらいであるからして、今時の漫画など読んでるわけがないし、そりゃあオタクになれないわけだ、といったような感じもする。
それとは別に、無菌状態で育ってきた人間が突然にゲームに触れる、あるいはオタクに触れる、あるいは酒や女や涙やギャンブルなどといったものに触れるとありったけをそれにつぎ込んで一気にLv99まで達してしまう場合もあると思うのだけれど、僕の場合は真性引き篭もりであるからしてそれも無いわけで、やはりオタクになれないわけであり。別にオタクになりたいわけではないのだけれど、微妙なものがある。


「ずるいことをして儲けてる人間が許せない(高麗氏が本当に詐欺師かどうかはまだわからないけど)」というのはもっともなんだけど、そこで思考停止せずに、人々の善意をより有効活用するにはどうすれば、というところまで考える必要があるんじゃないかな。じゃないと、結局それは「ネットで金儲けしてよろしくやっている」連中への妬みというレベルにとどまってしまうんだと思うんだけど、どうだろう。



多分ここらからだと思うのだけれど、人々の善意をより有効活用するにはどうすれば、というところまで考える必要があるんじゃないかな。なんか言われてもコメントのしようがない。
始皇帝氏などと呼ばれてしまったので、一応その辺りへの文章を書いておくと、それはもう「貧富の格差をなくす、以上。」で終わり。



僕は別に物凄い左とか真っ赤とかではないのだけれど、おそらくは左寄り、もしくは極右?というかその辺りはよくわからないので、そういう背景としてのものではないという事の説明として一応政治的、あるいは思想的立場からの物言いではないと弁明しておく。


そんなもの、全ての問題は貧富の格差が原因だ。
他の善意がどうとか解決がどうとか募金がどうとか人権がどうとか政治体系がどうとか支援がどうとかいうのは、真性引き篭もりからしてればちゃんちゃらおかしい。
貧困やら人権やらなどというのは言うに及ばず、紛争だとか戦争だとかいうのも全て貧富の格差、あるいは言い換えると富の集中に原因があり、また、その方がいいと思っている人間が一方にいるからそのままなのだ。その方が都合がよい。


あまりケチをつけるというのは非常に気がとがめるのだけれど、ケチをつけると、募金で学校が3つ4つ建てる、あるいは建てないが悪だどうこうなどというのは物凄く笑える。そんな事をしても学校へ行けた人間が得をするだけだ。きちんと上から下まで全てをやれる組織(政府と読んでもよい)がやらないと格差が広がるだけ。機会の不平等をより一層深刻なものにしてなんの解決になるのかまったく想像がつかない。それこそ思考停止。
そんな馬鹿な事やってないで、全域小中高+αのODAをすればよい。別に政府でなくてもビルゲイツでも堤でも孫でもカンボジアスクールNGOでもいいけれど。それが無理ならユニクロでも背広でも無印でもなんでもしっちゃかめっちゃかに工場を建てまくればよい。あー、国内の修学旅行全部アンコールワット、とかでもいい。ディズニーランドや金閣寺よりはずっといいだろう。とにかく金を回させろ。


なんか少しずれたような気がしなくも無いけれど、ユニセフや赤十字や国境なき医師団や、あるいはWWEやらといったものでどうにかなるってのは大間違い。資本主義でも共産主義でも軍事政権でもなんでもいいから、格差を減らせばよい。


どこかでプロとプロ組織を育てろとかそういう話があったが、ユニセフやら赤十字やらが育った姿なら、全然機能してないじゃんって話である。ユニセフとか赤十字などというのは糞も糞のいいところであり、あんなものをしてプロだとか人材育成だとかいうなら終わってる。
育てるなら、国を育てるべきである。格差を少なく出来る国を。トルコやメキシコから移民が押し寄せたりしない識字率100%の国はその点で完璧なのである。


別に寄付というものを否定しているわけではない。
緊急時の寄付が持つ意味はようく理解しているつもりである。


しかし、例えば新潟の震災という緊急時に国内の寄付金が0円、海外からの支援金が0円であったとして、何か問題になったとは思わない。
それは我が国が富んでおり、格差が少ないからである。
ならば、比較的そのレベルに近い国を作ろうとするのが正しい道筋である。


なんか余計にまとまらなくなってきたけれど、それは全員が誰が誰だかわからないコメント欄を読みながら書いているからであり、コメントvsコメントにあとから突っ込んでって綺麗にまとめて書くというのは真性引き篭もりの力量では無理である。


>三菱
こういう類のたとえ話はコメントするに値しない。
真性引き篭もりを批判する、あるいは無理やりに働かせるならば、代わりに貴方がより素晴らしい真性引き篭もりになるべきだ!とかそんな事馬鹿馬鹿しくて書く気にもならないのである。
思考停止に陥らずになんか書けというなら、まずそう言う人間が第一に書くべきであろう。もしも「書いています」というのならごめんなさい。


社会正義とユニセフとか赤十字とか論理のすり替えだとか建設的だとかよそでやってくれだとかなんか物凄くこんがらがって、意味不明であり、もうなにがなんだかわからない。


無理やりに真性引き篭もりをまとめる。


・募金についてはなんの意見も感情も無いに等しい。
・善とか悪とか言ってる人間こそ思考停止。
・貧富の格差を無くせばよい(あるいは少なく、または機会格差を)


これくらいかな、という感じだけれどこれでいいのだろうか。
だいたい、そもそも、真性引き篭もりはゲーム真性引き篭もり系のブログであり、そういうのやられても困るのだけれど、せっかくやってくれているのならばここでやってくれて結構です。


2005年1月23日日曜日

糞ブロガーR30を糾弾する。



物凄くムカついた。
つまり一言で言うと物凄くムカついたという事だ。
真性引き篭もり風に言うと、激昂しているのである。


だいたいからして、なんか赤鬼みたいなのが倒せない。
多分200回くらいトライしたけれど、倒せたのは3回だけ。
5回に1回は赤鬼までたどり着けるくらいまで上手くはなったのだけれど、たどり着いた時の平均HPが5であるからして、倒せるわけがない。
というか倒せてもセーブポイントまでたどり着けない。3回全部127ダメージ食らって死んだ。呪われたトランプが暴発した瞬間に影のジャックに暗黒の嵐2連発食らって死ぬよりも理不尽だ。あんなもの絶対に認めない。
それ以前に腹立たしいのが、以前「カーリー死んだから」という理由で2度アンインストールしたのだけれど、あれは生きているという演出であり実は死んでなかったという事実が物凄く腹立たしい。生きているのか死んでいるのかわからない演出などというものはあまりにも不条理すぎる。不親切にもほどがある。サイズ19くらいのゴシックフォントでデカデカと「おめでとう!カーリーは生きてます!」とか書いておくべきだ。おめでとう!
というかそれ以前の問題として、カーリーが生きていると裏面にいけます!しかも裏面をクリアしたらパーフェクトエンディングが見れます!おめでとう!とかそういう情報を掴んでいるのだけれど、裏面どころか表面もクリア出来ない。というかラスボスの姿も見られない。もう赤鬼がラスボスでいいやん、って思うくらいに絶望的な戦力差である。だいたいからして赤鬼は無茶苦茶卑怯だ。なんか要塞の中みたいな所にいる。正々堂々と戦えばいいのに、要塞ダンジョンみたいな所に入った瞬間に「全ての武器レベルが0になりました」とか言われて卑怯極まりない。やるさかない。ふしだらだ。不埒だ。おのれ。
というか本当に赤鬼が倒せない。回復薬を使えばほぼ確実に倒せそうな気がするのだけれど、おそらくここで回復薬を使ってしまうとラスボス(あるいは次のボス)が倒せないであろうというのは想像するに容易く、ここで使うわけにはいかないわけで、物凄く苦しい。
僕はどちらかというと努力型、というか延々とプレイし続けている間に少しずつ上手くなる型のプレイヤーであるからして、普通のゲームであればこれだけやればクリア出来そうな予感というものがしてくるのだけれど、なんかそういうのが全然無い。こんなもの100%不可能だ。大阪城の石垣を渡されて、「はい、これで石切り5回跳ねさせて」とか頼まれているようなものである。石切りだか水切りだか知らないけど、もうそんな事はどうでもいいくらいに腹が立ったので、今アンインストールしてゴミ箱を空にしたので、僕はもう永遠に赤鬼などという糞モンスターに殺される事は無いわけで物凄く幸せなのだけれど物凄くムカつくのでブログでも書こうと思うのだけれど、アンインストールしてしまった後悔と興奮で肩が震えているのだけれどこれはどうしたものか。せめて回復薬を使ってでもラスボスを見てからアンインストールするべきだった。また失敗してしまった。だいたいからしてインターネットエクスプローラでブログの投稿画面を開き、表題と書き出しの3行くらいを書いてからあとはテキストエディタで本文を書いているのだけれど、テキストエディタなのに五目並べとかがついているわけで、なんか文章が行き詰って単語が出てこなくなったからとふと出来心で五目並べをやっているわけだけれど全然勝てない。100戦100敗の勢いで負け続ける。真性引き篭もりというのはテキストエディタよりも馬鹿なのかと思うと物凄く腹が立つ。
だいたいからしてDOTA allsatarsのCDキーを咀嚼して飲み込んでから何かがおかしくなったのであり、物凄くDOTA allsatarsがやりたい。もう、スペルクラフトとかエアーストライクタワーディフェンスとかフットマンウォーズとかエックスヒーローサバイバルとかサモナースとかニンテンドウタワーディフェンスとかそういう糞UMSでもいいからやりたい。このさいザグレートストラテジーでもいいからやりたい。2vs2のチームバトルでプロゲーマーを真似して建物を配置していると「なんでそんな所に建物を建てるんだ?おまえnoob!死ね!一生ウォークラフトやるな!」「for all : ちきしょう!俺のチームメイト無茶苦茶noob!やってられん。落ちるわ。物凄く腹が立つ。糞、死ね、じゃあな、あばよ!」とか言われて落ちられてもいいからそれくらいの勢いで物凄くやりたい。


というか、やっと本題を思い出した。
R30マーケティング社会時評というブログがあるのだけれど、これが物凄く腹立たしい。マーケティング社会時評というブログ自体ではなく、R30というそれを書いている男が物凄く腹立たしい。
だいたいからして年齢どうこうというものをタイトルに持ってくるようなのは卑怯だ。年齢といのはそれだけで免罪符というか手形のようなものであり、


30を超えた大人のための子供ニュース(木曜休刊)



などというサブタイトルは物凄く卑怯で虫が好かない。
木曜日も働け。
休まず書け。
それ以前に、木曜日以外も休刊しまくりだろ。
そのくせ偉そうに休刊とか書いているのが腹立たしい。しかも、このR30という男は平然と木曜日に投稿している。大嘘つきだ。
木曜休刊と書いておきながら木曜以外の曜日に休刊して木曜に投稿するというのは、月曜から土曜まで登校せずに引き篭もっておきながら、日曜の運動会にだけは笑顔でエビフライをむしゃぼる餓鬼のようなものであり、絶対に許すことは出来ない。エビフライをむしゃぼる餓鬼みたいな論理が世間で通用すると思うな。甘ったれにも程がある。
少しそれたから戻しておくと、年齢というものは卑怯だ。



例えばブログにおける紛争やネットゲームにおける戦いなどで対戦相手が「私は今年で95歳になります」などと言ったら、もうその時点でこちら側に勝ち目は無い。
どう頑張っても無理だ。齢30だとかいうのはそれに比べればだいぶマシではあるものの、やはり卑怯だ。僕がどれだけ激昂して書いても「いやー三十路だし(笑)」みたいな感じで終わる事は目に見えている。なんかたまに「貴方はまだ若いんだから」みたいな希望に満ち溢れてるんだよ君は無限の可能性があるんだよ君は物凄く幸せ者なんだよみたいな海綿体コメントがついているのだけれど、僕の最強の持ち札は若さ、第二の持ち札はDOTA allstars、第三の持ち札は真性引き篭もりであるからして、それらは1秒1秒失われていきつつあるわけであり、それらは僕を傷つけるだけであり、アドバンテージでもなんでもない。どちらかというとハンデキャップである。もしも僕が明日で齢96になるのであれば、僕は幸せに満ち溢れ、未来人生将来希望、あるいは人間というものを希望の眼差しでまんじりともせずに微笑みながら見つめ続ける事が出来るであろう。


そういうわけで、つまり、齢30などという年齢は卑怯だ。
見るもの誰もが「もしかしてこの人って小学生?くらい?」みたいに勘違いさせるくらいの投稿をたまに行ったり、なんか突然「Jリーガーになりたい」とかプロフィールに書いたりしてみるもの全てを戸惑わせるくらいにやるべきだ。話を戻そうと思って改行したのにまたそれた。それもこれも全部R30がムカついて激昂しているからである。本来の僕はもっと理路整然とした物凄いパーフェクトな文章を書けるスーパーブロガーであり、冷静沈着な人間なのであるというのにそのような姿をお見せできずに悲しい。


だいたいからして今日のブログ投稿を行おうと7割くらいまで書いていたものがうまくまとまらず、読み返しても涙が出そうなくらいに意味不明な文章になってしまっていたのでCtrl+Aで全選択したあとでDeletキーをえんや!と押して削除し、「今日はコメント欄の騒動に首を突っ込んで終わりにするか」と思ってコメント欄を見て、ついでたからとR30を見に行ったら、僕が送ったトラックバックがものの見事に跡形もなく綺麗さっぱり削除されており、物凄く腹が立つ。R30死ね。あるいは結婚して子供作って海外旅行とかして週に5回の割合で定年までよろしくやれ。


だいたい、R30は卑怯だ。
こちらにはトラックバックを送っておきながら本文を削除し、1日80000アクセス強の超絶メガヒットサイトに「from R30::マーケティング社会時評 」なる宣伝広告文章を紛れ込ませておきながら1円も払わず何のコンタクトもない。だいたいそういう場合は「ごめんなさい、ちょっと削除しましたので、お詫びにDOTA allsatarsのCDキーをお送りします。CDキーはdahos-dahid-danof-djao-dahiです。あとTFTの方のCDキーはfhoas-fhiue-fheao-fahou-dahi-dheo-です。じゃ、よろしくー。」とかそういう物凄くフレンドリーなメールを送りつけてくるのが礼儀というもので、問答無用で削除しておきながら問答無用で削除するというのは物凄く不愉快だ。


一度投稿した本文を削除するという事自体にはなんの問題もないし、構わない。書いた人間の勝手である。それに一度書いた文章を削除するというその気持ちというのは物凄くよくわかる。僕なども過去に投稿したものを削除してもう一度書き直したい気分になったり、綺麗さっぱり跡形もなく無かった事にしてしまいたくなったりするわけで、何かを書くという事は髪の毛やら汗やらうんこやら涙やら罵声やらといった物凄く醜いものを撒き散らしながら歩くのと同じであり、歩いている時はそれなりに何も感じないものの、振り返ると物凄く後悔、あるいは物凄く満足するものである。どちらに転ぶかは書いている間にはわからない。しかしながら僕は投稿というものを削除しないという方向でやって行きたいと思っているわけであり、そのようにしている。というか激昂のあまり物凄くいっぱい支離滅裂な事柄を書きすぎて最初書こうと思っていた事を全部書き忘れており、慌てて書き入れようとしてもあまりに書き入れようと思う事が多すぎて文章の繋げようがなくなってしまい、もうどうする事も出来ないくらいに滅茶苦茶になってしまったのはいったいどうすればいいんだ。このような言い訳をしているという事は、この文章自体が後に書き入れられたものであり、次に3行くらいあけて物凄い話題とテンションと文体の変化が訪れるので覚悟してくださいという警告であるのだけれど、こんなもの真面目に読んでいる人間などおらぬような気もしてこの文章自体が徒労の象徴であるように思えて物凄く赤鬼が憎い。


 &br; &br;

というかなんでこれが改行に変換されないんだ?
ちゃんとWikiStyleを選択して、万事ぬかりないはずなのに。
なんか全てが上手く回らない。


というかR30。
あの空トラックバックにはどれだけの労力がかかっているのか想像した事があるのか!まず、ライブドアのIDを本名で取得してしまい、「あ、ブロックブログはいいけれどライブドアに本名を渡すのはやだ」と思い直し、一度IDを削除し、新たに偽名で登録しなおし(鈴木一郎)、やっとの事でブログ作成画面までたどり着いてはブログタイトルをどうすべきか悩みに悩み、ああでもない、こうでもないと各地を飛び回ってそれっぽいものをかき集めて繋ぎ合わせて捻り出してブログを開設し、さて本文を投稿しようという段階になってはその本文の文章で悩みに悩み、ああでもないこうでもないとうんうん唸って書き上げて、投稿文章を即削除出来るように2つめのインターネットエクスプローラを立ち上げ、尚且つブログ自体を削除出来るように3つめのインターネットエクスプローラを立ち上げ、4つめのインターネットエクスプローラを立ち上げてF5キーを小刻みに叩いて更新チェックを行いながら「行け!」と無音で大声で叫んで投稿ボタンを押したら1分20秒くらいの間を置いて404


404
404?
え?
404。
物凄く嫌な汗が体中を駆け巡って、僕の投稿した文章とトラックバックがどこへ行ってしまったのか悩みに悩み、自分の書いた文章が失われてしまった事とか、僕の人生というものが失われてしまった事とか、カーリーが死んでしまった事とかが物凄く悲しく僕の上に圧し掛かってきたので椅子に座っておられずに床に倒れこみ、硬く泡立てすぎたホイップクリームのようなものの上に倒れこんで無理やりに眠ろうとしたのだけれど興奮で眠れず、「今頃、野茂英雄は何をしているのだろうか」などとまったく意味不明な事を思いついてしまったので、僕が野茂英雄だったら今何をしていたのであろうか、と想像してはみたものの、僕は野茂英雄ではないから何も思い浮かばない、という状態がしばらく続いてトルネード


それから一晩横になって、朝方やっとこさ立ち直って、日曜の朝という物凄い静寂、あるいは喧騒の中で赤鬼に延々と殺され続けていたらかなり眠たくなったので横になって無理やりに眠り、起きては一頻り赤鬼に殺され殺されしてからライブドアが404にならなさそうな時間帯を狙い図っては、さてブログだ、さて本文だという事になったのだけれど、昨日書いた文章は404とともに全てが失われてしまっており、物凄い中身の無い薀蓄のつまった長文をもう一度書き直そうとしたものの、昨日のようには上手くはいかず、わずか30時間かそれくらいの間に僕の物凄く中身の無い薀蓄のつまった長文を書きあげるという才能、というよりは情熱、あるいは若さというものが失われてしまった事に絶望し、何故たかだか空トラックバックを送るという事に是ほどまでの時間と労力と熱意というよりは、少し恐ろしいくらいの執念を持てるのか自分でも不思議になりながら、適当な投稿をでっちあげ、投稿文章を即削除出来るように2つめのインターネットエクスプローラを立ち上げ、尚且つブログ自体を削除出来るように3つめのインターネットエクスプローラを立ち上げ、尚且つライブドアIDを即削除出来るように4つめのインターネットエクスプローラを立ち上げ、5つめのインターネットエクスプローラを立ち上げて更新チェックを行いながらトラックバックつきのブログを投稿し、トラックバックが届いた事を確認した瞬間に、投稿削除→ブログ削除→ID削除を見事な手さばきでこなし、全てが上手くいった事に物凄く満足し、幸せにつつまれ、久々の充足、やり遂げ成し遂げたという満足感を得て「これでE-VENだぜ!」と心も新に打倒赤鬼!


ところが、で、あるからして、これだ。
空トラックバックを送っておきながら空トラックバックを削除するとは何事だ。物凄く腹が立つ。たぶん労力的にはe-vene-venくらいなのに削除されて物凄く悔しい。これでは一方的ではないか。そんなのは卑怯だ。おとなってやつはいっつもこうだ。もう30代は信じない。絶対にだ。ニフテココログの手先め。絶対にニフティココログの回し者だ。そうとしか思えん。これはワナだ。クリックしたら入会案内とかあるし。入会無料!とか書いておきながらクリックしたら下の方にちっさく「@nifty IDをお持ちでない方は、月額263円(※)で取得できます」とか書いてるし。卑怯者め。そこまでして採算が成り立っていない末端ブログサービス筆頭であるブロックブログを滅ぼしたいのか。ちくしょう。絶対にちくしょう


赤鬼が倒せなかったのも、あれもこれも、全部R30のせいであり物凄くムカつくのであり、真性引き篭もり風に言うと激昂しておるのであり、激昂しておるのであり、激昂し、激昂したという内容のブログを投稿しようとインターネットエクスプローラを開き、ブロックブログから投稿画面へとたどり着いて表題を入力しようとしたら操作ミスでエンターキーを押してしまい「R」という本文無しの無意味な投稿をしてしまい落ち込み、さらに「R30マーケティング社会時評を糾弾する!」という表題を書こうとして、「R30マーケティング社会時評を教壇する!」と書いてしまい、慌てて「R30マーケティング社会時評をだんきょうする!」と書いたのだけれど変換すら行われずこれも違うとなり、集団、団集、談笑、商談、いや違うと驚愕とか小額とか一通りやり終えた後にやっとの事でシークレット糾ボーナス弾フレーズを見つけ出しては小躍りしておる所であり、僕は物凄く満足しているのである。


2005年1月22日土曜日

[酉年専用!!]トラックバック年賀状受付用投稿



年賀状などというものは随分ご無沙汰である。
引き篭もるに至り、お年玉の受け取りを拒否というか黄土色の封筒を文具店で買って切手まで貼って丁寧に一生いらないのでもう僕に関わらないで下さい、と書き添えて送り返した頃から、あるいはそれより以前からぽつりぽつりと減り始めていつしか途絶えた、だいたいからして僕はそれ以前から真性引き篭もりのようなものであったからして、年賀状をくれるような知り合いは他にいないわけであり、そのようなものはまったくもって不要であり、別に欲しいとかまったく思っていないのだけれど、社長でございのエントリーを見て物凄くせつなくなったのでトラックバック年賀状を広く募集する事にした。



社長でございの元旦のブログ投稿には、

>(この挨拶は、「トラックバック年賀状」とさせていただきます。)
とかあって、ブロックブログ内の複数のブログにトラックバックがあったようであり、それらでは「うわーい、シャチョさんからトラックバクきたー」などと能天気に浮れており、物凄く幸せそうなのに対し、当ブログ、真性引き篭もりにはそのようなものが来ておらず、ブログで取り上げようのないトラックバックばかりくるので、絡む事が出来ずに申し訳ないと思うような、寂しいような、寂しいし、物凄く悔しいので断固抗議すると同時に、トラックバック年賀状を酉年に限定して広く募集致します。

だいたいからして、僕は物凄く堅固なブロックブログの信徒であり、先日はちょっと事情があってライブドアのブログを取得したのであるけれど、投稿したらいきなり404エラーになって物凄く焦った。ライブドアのユーザーはあんなもので満足しているのか?と、物凄く疑問に思った。重いとかどうこうより、夜の9時半頃に投稿ボタンを押したのにいきなり404エラーなんて、明らかに使えない度NO1じゃあないか。というか、本当に何がおきたのか10分程理解出来ずにかなり焦った。リロードを繰り返した。ほんと、心臓に悪いったらありゃしないのである。

それに関連して、あるいはまったく関係無いのだけれど、ブロックブログ内に開設されたブログの重さの8割を占めると評判のカウンターを外してみた。
少し軽くなったようで、物凄く満足している。
また後程、眠たくて体が動かなくなった頃合を見計らって他の軽いカウンターをつけてみようと思っているので、それまでは当ブログへアクセスしないで下さい。カウントし漏れたアクセスがあると物凄く悲しいので、カウンターを付け直すまでは絶対にアクセスしないでください!
どうか、よろしくお願いします。






ということで、12年後に皆様の暖かいトラックバックがはちきれんばかりに殺到する事を説に願っておりますので、トラックバッカーの皆様にはどうかよろしく御殺到下さい。尚、募集は酉年の西暦1月1日のみとさせていただきますので、それ以外の日時に来た場合はスパム扱いして荒らしに行く覚悟でおりますので、どうかその旨ご了承下さい。


2005年1月20日木曜日

カーリーが死んだから激昂してアンインストールしたんだけれどもう一回ダウンロードして進めていたら、またカーリーを助けられない所まで



幸いにも書きたい序文のストックがいくつかあって、書こうと思えば書けるのだろうけれど、もしもそれらを書くという作業に手をつけてしまうと、書いている内におかしなペースになってしまい、本文が埋もれてしまうおそれがあるという単純な理由から、なにも書かずに何も書かない事にする。


盛り上がり、というには少し小ぢんまりとしている状況については不本意というわけではなく、むしろ嬉しいものなのだけれど、ほら、やってる!やってる!みたいな空気には物凄く不満がある。


事の始まりはそもそもpdf(笑)で当該ブログにご掲載下さいとか命令されたので、やむなく載せたものであり、ブログに書く気はまったく無かったのである。というか無かったし無いと書いてるんだから無かったって読んでください。みたいな気もするのだけれど、混ぜるな危険と書いた潜在を混ぜて売ってるようなもので、書いた僕が悪いのだろうとも思う。


となると、ブログで書くつもりは無かったのならどうするつもりだったのか、という話なのだけれど、それも既に書いたつもりである。


・対募金パーク(高麗和男)
これは一応、やる気満々だった。
警察に門前払いされた事を材料に脅迫する人間と触れ合う貴重な機会をみすみす逃すのはもったいないなというような、その程度のもの。あくまでも、メールでやるつもりでありブログで書く気は全く無かった。


・対募金パーク問題コミニティ
こちらに関しては、募金パーク問題メーリングリスト(あるいは系列の掲示板)で謝罪文なりそれなりの対応なりをするつもりであった。こちらがメインである。
(注)僕は募金パーク問題メーリングリストというものに入っていないので、メーリングリストで流すなら加入謝罪文即抜け、とういのをやるつもりであった。


というか今回書いたのは、あくまでも募金パーク問題周辺への謝罪文である。
そりゃあさ、それならば「ごめんなさい」の一言を書いて投稿すればいいじゃん、って事になるのだろうし、それはまことにごもっともなご意見だと思うのだけれど、あいにく僕は書き始めると徹底的に書かなければ気がすまないたちであり、書いているうちにトーンが変わってしまったり、書きたい主題が変更されてしまったりと色々大変なので、そこは勘弁していただきたいのである。


また、pdfをブログに載せろと言われて載せざるを得なくなったからには対になる文を書いて一段落つけなければ居心地が悪いので対になる文章を書いた、というのが質問状の趣旨である。だいたいからして引き篭もり相手に質問をしてもリアクションが返ってくるはずがないわけで、それなりに頑張った対になる文章としての投稿、という以上の意味は無い。そりゃあ、物凄く丁寧には書いたのだけれど、それは僕の気質上の問題であり、真面目に質問がどうとか募金パークがどうとか思って書いたわけではない。


ということで、今回の事を僕の投稿から引用してまとめる。
引用のやり方がわかったので、物凄く使いたい年頃なのだ。


書くつもりはなかったし、今も、また今後とも書くつもりは無い事を書くのにはそれなりの理由があるわけで、



過去から未来にわたって書くつもりはないと物凄く目立つところで書いている。



よって、関係者の皆様には深くお詫び申し上げます。



あくまでも、そういう事である。
募金パーク(高麗和男)の個人情報侵害問題によりご迷惑をおかけした人にはそれに対する謝罪。
今もやる気満々な方々には、高麗和男を引き篭もらせてしまった事、また引き篭もらせておきながら引き篭もりを相手にするのはつまらないから(要約)という極めて真性引き篭もり的な理由で立ち去った事への謝罪である。



参戦したみたいだとか、また憤慨してるよとか、また激昂してるよとかそういう読まれ方は物凄く不本意であり、あくまでも謝罪文メインなのでその辺りよろしくお願いします。と、珍しく自分の文章についての要約、意図を文章にして大変に疲れた。外の事柄を見て適当に書くというのは楽なのだけれど、自分自身の事を書くというのは真性引き篭もりにとっては物凄く骨のある作業である。なにしろ、自分自身というものが存在しないのだから。
とりあえず、物凄く眠たいので今日の所はこれくらいで勘弁してやる。


2005年1月18日火曜日

募金パーク(高麗和男)へのご質問



pdfより


http://bokinpark.com/z/mess_higai.html
こちらで当方のブログについて記述されていたのを読み、ご連絡させていただきました。


上記によると、僕が虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて人の信用を毀損し、又はその業務を妨害したとされておりますが、それは真性引き篭もりブログのどの部分なのか、該当部を全文引用してご返信下さい。


下記のメールをお送り頂いた方が「真性 引き篭もり」サイトの管理者殿であるとの確認がとれましたので、要求をお伝えいたします。


1,当該ブログから募金パーク及びカンボジアスクールNGO及び高麗和男またそれらに関連するすべての記述の削除
2,当該ブログに謝罪文の掲載 以上




ご質問をしました。
要求をお伝えされました。
まったく噛みあっていません。



要求を伝えるならば、そちらからメールを送るのが筋です。
募金パーク(高麗和男)がフィードバックの受け入れを完全に遮断してから募金パーク(高麗和男)による個人情報侵害事件に至るまでに高麗和男氏が僕との間で行った行為は、こちらから送ったメール1通の無視のみです。






・当ブログの募金パーク及びカンボジアスクールNGO及び高麗和男またそれらに関連する記述について。


・高麗和男氏の趣味は「海外旅行」。



例えば、当ブログには上のような募金パーク及びカンボジアスクールNGO及び高麗和男に関連する記述がありますが、これは紛れも無き事実であります。
このブログを書いた直後に「海外渡航」へと改変された為、現在では上の記述はございませんが、紛れも無き事実であり、虚偽の風説を流布してもいなければ、偽計を用いているわけでもありません。



・高麗和男氏は寄付名目で70万以上の金をかき集めており、それらが放出されたように伺える記述は、本人の旅費、生活費と3万円のみ。



例えばこちらは客観的事実を記述しただけであります。
同じように、虚偽の風説を流布してはいません。



>ご支援をして頂いた皆様のご芳名
という欄に、


>カンボジアスクール代表 大阪市生野区 500,000
自分で自分に寄付?しかも、


>事務・送金経費の費用は、ご支援いただいた
>金額の10%を計上しています
どうなってんの?



こちらも、事実のみを記述しています。
どうなっているのだろうか。という事であります。



>通学の為の募金金額  429,000 円
429000円の寄付を受けて、教師はボランティアのアンコール・トム日本語センターに生徒を通わす事に成功したのは3名。カンボジア平均年収の10年分で13人を無料学校に通わせたのみ。



これも事実であります。
日本に置き換えると、5000万円ほどでしょうか。
カンボジアスクールNGO(高麗和男)は5000万円を集め、その5000万円で13人を無料学校に通わせたのみ、という事実を書いただけで、虚偽、偽計ではありません。



当ブログの批判記事を読んでその批判を逃れられるようにカンボジアスクールNGOウェブサイト、及びに募金パークウェブサイトを大幅に改変したのは存じておりますので、それについての記述は一切不要です。





では、改めてご質問です。
念のためもう一度書いておきますが、当ブログの批判記事を読んでその批判を逃れられるようにカンボジアスクールNGOウェブサイト、及びに募金パークウェブサイトを大幅に改変したのは存じておりますので、それについての記述は一切不要です。


3つに絞ります。


私は決して善人ではありません。
以前悪いこともしました。人には言えない悪いことです。



高麗和男が善人で無い事はわかりました。
また、以前悪いことをした事もわかりました。
それが人に言えないくらい悪いことであるのも理解しました。
問1、一体なにをなさったんですか?




通学出来た子供の数 13人 ・・429,000 円


通学出来た子供の数 16人 ・・ 510,000 円



子供一人の2年度目以降の学費 15,000円
(79000円で3名)



問2、無料学校であると記述されていたのに、指摘後に有料であると改変されたアン・コールトム日本語学校の学費をお教え下さい。




虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて人の信用を毀損し、又はその業務を妨害



問3、僕が虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いたのはどの部分ですか?
当ブログには上で書いたように事実、客観的事実についての記述が多数あり、どの部分であるのかこちら側はわかりません。該当部をご指摘下さい。





重ねて問います。



私は決して善人ではありません。
以前悪いこともしました。人には言えない悪いことです。



問1、何をなさったんですか?
問2、アン・コールトム日本語学校の学費をお教え下さい。
問3、僕が虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いたのはどの部分であるのか、該当部を全て引用してお答え下さい。



事の顛末と謝罪文。



書くつもりはなかったし、今も、また今後とも書くつもりは無い事を書くのにはそれなりの理由があるわけで、その理由のような事の全容をまず書いてから、本題に入る。


こちらのサイト(http://www.takahara.gr.jp/)によると募金パーク(高麗和男)の行った事は犯罪行為であり、彼は犯罪者であるという事になる。


・プライバシーの侵害は犯罪である。
・プライバシーとは「個人情報のうち他人に知られたくないもの」
・刑事的には、名誉毀損罪
[刑法第230条=3年以下の懲役、禁錮または50万円以下の罰金]
・または侮辱罪
[刑法第231条=勾留または科料
・民事的には、それが不法行為にあたる場合、損害賠償請求ないし慰謝料請求の対象となる。
[民法第709条、710条]




僕が募金パーク(http://bokinpark.com/)を知ったのは、
( ゚д゚) …(http://pokan.bblog.jp/)というブログを
ブロックブログの新着一覧で見つけてたまたまクリックしたからであり、僕が顔を突っ込んだ時にはもう既にかなりの問題となっており、一通り盛り上がってはいたようである。


事の経緯はこうだ。


1、新潟中越地震後、募金パークが有名になる。
2、募金パーク運営者の高麗和男氏がニュージーランドへ。


また私が日本を離れるというなんと無責任な行動を
取らなければならならないという現実もありました。



3、高麗和男氏がニュージーランドへ趣味の海外旅行中に、
  募金パークヘルパー(原文まま。運営協力者)の発言が問題視される。
  ※ここまでは高麗氏を問題視する人は少なかった。
  (システムを問題とした方あり)
4、高麗和男氏がニュージーランドから帰国。
  ※ここでも高麗氏の対応は「知識不足によるもの」とする意見がまだ多数。
  (カンボジアスクールNGOに疑惑を投げかけた方あり)



そして、このカッコの内部、カンボジアスクールNGOに疑惑を投げかけた方というのが、僕であるらしい。その際のやり取りで代表的なものがこれ。


カンボジアスクールNGOでは、寄付金により
数人の子供を就学させたとあります。
にもかかわらず、収支明細が
一切記載されていないのはなぜですか?<


全ての会社が収支報告を開示記載していますか。
例えばどこかのネットショップさん
例えばどこかの個人経営の事業者さん。
これは開示義務はありません。
当然寄付を頂いた方からの要請にも開示義務はありません。





さて。
募金パーク(高麗和男)から出るコメントがこのようなものばかりであったから、それに批判的なコメントがついたり、トラックバックが来たりするに至り、募金パーク(高麗和男)は運営するブログのコメントとトラックバックを削除し、コメントとトラックバックの受け入れを停止する。


ここまでは、真性引き篭もり上でご存知の方もあろうと思う。
ここからが、その後の展開である。




募金パーク(高麗和男)による個人情報侵害事件。


募金パーク(高麗和男)は、疑惑を投げかけていたブロガーの姓名と当ブログを晒して、問題を警察に持ち込んだ事を募金パークに書いた。


下の全文を読んでもらえればわかるのだけれど、募金パーク(高麗和男)は警察に完全に門前払いされている。それを題材にして、ブロガーの個人情報を晒したのである。
全文を読むのとかは時間の無駄なので、ちょっとだけ引く。


重要なのは、警察に完全に門前払いされた事を題材にして、個人情報を晒したという点である。


最初、刑事に、ある程度の被害状況を説明し、是非カンボジアスクールや募金パークを含めて私自身を調べて欲しいと言うと「そんなもんは調べない!」と少々荒い口調で回答してきました。私も少しむっとなり「なんやその言い方は」と多少大きな声を出すという場面があり、ちょっとまずい雰囲気を感じました。



私自身を調べて欲しい(笑)



刑事は「そんなサイトはやめたらええやんか」とも言ってました。おっしゃる通りです。やめれば騒ぎも静まります。しかし二時間後、彼の意見は変わってました。



2時間後(笑)



そして、その2時間後というのが、


「そんなもんは調べない!」という理由は簡単で、「犯罪者がわざわざ警察にはこない」とのこと・・なるほど、それはそうかもしれないけれど、これでは募金詐欺師という私の汚名は晴れることは有りません。いずれにせよ、ネズミ講、マルチ商法をしているということに関しても「そんな犯罪商法とネットワークビジネスとは違うんだけどなーー」



これである。



「そんな犯罪商法とネットワークビジネスとは違うんだけどなーー」
刑事が(笑)
そんな犯罪商法と(笑)
違うんだけどなーー(笑)


いちいち書くのも馬鹿らしい。
と書きながら丁寧に書くのが真性引き篭もりhankakueisuu。


1.僕はネズミ講という単語を一度も使っていない。
2.マルチ商法を犯罪であると書いた事はない。
3.高麗和男はマルチ商法をしていた事を認めた。


ネットワークビジネス(NB)とは、マルチ商法(MLM)の同義語であり、まったく同じものである。もう少し正確に言うと、マルチ商法という言葉のマイナスイメージが強くなり、世間で通用しなくなった為に企業側が使うようになった言葉がネットワークビジネスである。
法的にはがんじがらめに規制されているが、その中でやるのは合法である。
しかしながら、マルチ商法をやる人間はマルチ商法をやる人間であるという事は世間一般に広く知られており、マルチ商法の親玉(高麗和男)はマルチ商法の親玉であるという事を、僕は指摘しただけである。
重ねておく。
高麗和男氏はマルチ商法の親玉である事を認めた。


最初は少しむっと感じた熱血刑事のA刑事は、私のホームページや犯罪者達のホームページを見た後、個人的な意見ですが・・と前置きをされ、



真性引き篭もり(犯罪者のホームページ)



「高麗さん、絶対に募金パークを続けて下さい。しんどいでしょうが頑張って下さい。募金パークは多分99%の善意の人とと1%の悪意の人が集まっているホームページです。高麗さんを信用している人がいる以上絶対に頑張って下さい。このホームページのお陰で助かっている人もいるはずです。負けないで下さい」と拳を握りながら力説して下さいました。なんか胸が熱くなりました。



拳を握りながら力説して下さいました(笑)
なんか胸が熱くなりました。(笑)



上のような警察に門前払いされた事を材料にして、募金パーク問題を書いたブロガーの本名とメールアドレスをウェブサイト上で公開、個人情報を侵害するという犯罪行為に及んだ。



長くなった。
申し訳ない。
本題に入る。


大前研一以降、相手を見極めて文章を書いてきたつもりであった。
例えば大前研一氏などは、一定の人たちから一定の評価を得た大人物であり、逃げも隠れもしなければ、そもそも真性引き篭もりなど相手にしない。海外ボツニュースのラプター氏にしても、逃げも隠れもせずきちんと最後まで書ききった正々堂々としたもので、一方的コメント祭りになったはちょっと焦ったものの、見事なものである。
他にもかなりの人物に対しての文章を書いたが、問題にはならなかった。


しかし、募金パーク(高麗和男)の対応は違った。
気に入らないコメントが来たら、引き篭もったのである。
コメントを打ち切り、トラックバックを打ち切り、ブログへのリンクを削除した。
そうなると質問を投げる方法は無く、メールを投げても返ってこない。
しかしながらそれからも犯罪者達のホームページ(笑)は欠かさず見ていたようで、問題があるとされた文章を片っ端から改変し、問題があるとされた画像を削除した。正直、驚いた。
あのようなサイトを運営している人間がその運営を継続したままで引き篭もるというのは予想外の出来事であった。


批判を受けた人間が全てを遮断して引き篭もったり、暴言を吐いて失踪したりというのはウェブ上ではよく見られる光景であり、募金パークもそうなってしまったわけで、こうなってしまうと、全てがおしまいである。


一言で言うと、引き篭もったもん勝ちである。
付け加えると、引き篭もらせたら負けである。





では、高麗和男を引き篭もらせたのは誰か。という事である。
それは僕である。
この点については、全ての責任が僕にある。


普通の人よりも尖った文章(とはいってももっと過激な文章を書いていた方もいたにはいたのだけれど)を書き、それをトラックバックした。
それにより、高麗和男は完全に引き篭もるに至った。





やがて高麗和男は警察に門前払いされた事を題材にして、募金パークについて書いていたブロガーの個人情報を晒した。
起がなければ承が無いように、承がなければ転は無い。
引き金を引いたのは僕であるからして、募金パーク(高麗和男)による個人情報侵害事件、及びに今回の騒動の責任が僕にある事は明らかである。




よって、関係者の皆様には深くお詫び申し上げます。


まず、真綿で締めずに針で突き、高麗和男を引き篭もらせるに至った文章を書いてしまった事を募金パークに関わった全ての人と、募金パーク問題に関わった全ての人に深く謝罪します。


それにより高麗和男を警察に門前払いをされた事を材料にして数名のウェブサイト運営者を脅迫するに至らしめ、関係者各位に多大なるご迷惑をおかけした事を深くお詫びし、謝罪します。


全ての責任は僕にあり、矢でも鉄砲でも批判でも全て受け止めるつもりであるし、罵倒されるに値するだけの事をしてしまったと考えているので、深く反省し、謝罪し、重ねて深く謝罪申し上げます。募金パーク問題関係者様に取り返しの付かないご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ございませんでした。


今回の件に関しては全ての責任が引き金を引いた僕にある事は明らかであり、件により迷惑を被った関係者各位には、深くお詫びし、反省するところであります。
真性引き篭もりhankakueisuu